“戦争の準備ではなく、平和の準備を”/評論家 故・加藤周一さんの発言 各界に響く切実感 (jcp.or.jp) 2023年1月18日(水)
加藤さんは2005年11月の「九条の会」の講演会で、「平和を望むなら、戦争を準備せよ」というラテン語のことわざを紹介しつつ、これは「間違っています」と指摘。「戦争の準備をすれば、戦争になる確率が大きい。もし平和を望むなら戦争を準備せよじゃあない。平和を望むならば、平和を準備した方がいい。戦争を準備しないほうがいいです。準備は容易に本当の戦争の方へ近づいていく。非常に早く強く」と語りました。
「平和の準備」って、何だか良く分かりませんが、「戦争の準備をしない」事のようです。「戦争の準備をしなければ平和になる」という理屈のようですから、「警察がなければ犯罪は無い」、「消防署があるから火事がおこる」という本末転倒の笑い話になります。
亡くなられた方を批判して申し訳ありませんが、「平和を望むなら、まずは戦に備えよ」ということわざの方が正しいと。犯罪を防止するために警察があり、火事を防ぐために消防署があるのですから。
もうすぐ1年になろうとするロシアの侵略。何度か書きましたが、1991年にソ連から独立した時点で世界有数の核保有国であったウクライナが、米英露の甘言に乗せられて核を放棄した事が、今の侵略戦争に繋がっている。
ウクライナが真に平和を望むなら、核放棄をすべきではなかったのです。あの核があれば、ロシアは絶対に攻めてこない。いや、攻めるわけがないのです。
あの時、永遠の安全保障をウクライナに約束した米英露の3国。約束を簡単に破って、暴虐の限りを尽くしているロシアに対して米英は、「核戦争を避けるためには、我々が直接戦いに関与できない。自国を核の被害に合わせるわけにはいかないのだ」という核保有大国の論理。
国同士の約束や条約などは、自国の利益の前には紙屑に過ぎないのは「世界の常識」なのです。
ロシアは地理的に最も近い隣国、歯舞から3.7キロメートルにあるそのロシアと日本は、今や実質的に戦争状態にあります。
立憲や共産が、国会で「反撃能力は反対」等と言っていますが、彼らを支持している約5%の日本国籍を持つ愚か者達より、自民党員という国を背負う人達のレベルの低さの方が今は問題だと思っています。