獲得できたのは人脈

>いやいや、生存競争に揉まれて獲得すべき強さは、そんなガッチガチの唯我独尊じゃないと思っている訳です。

今さらですが私は団塊の世代の尻尾です。小中学の教室には空き教室は無く、50をはるかに超える机が並び、その小さな世界で、学力・体力・は勿論、様々な競争の中で普通に成長してきました。

少人数学級との差は分かりませんが、我々の時代は、勉強出来ない子は運動で頑張り、大半のどちらも得意でない私のような子供でも、そこそこの群れて遊ぶ事が出来ました。

とにかく子供の数が多いので、小学校の広いグランドは上級生が三角ベースの野球。それにあぶれた5~6年生達が下級生を集めて、隅の方でパッチン等の色々な遊びを教えて優越感にひたる。

小さい頃から年下の面倒をみながら、「いつかは、あのお兄ちゃんのみたいになるんだ」という世代間の繋がりがあった「団塊の世代の尻尾」って、ある意味、幸運だったのかもしれません。

それが大人になって、生存競争の役に立ったかどうかは分かりませんが、私の人脈創りの基礎になったのは間違いありません。

35年近く建設会社を経営し、様々な苦難を経験してきました。が、この年になれば大した事は無い。30才で消防団と商工会青年部に入り、35才から廿日市天満宮の御祭礼を仕切り、40才でPTA会長。

その頃に廿日市駅通りに、お馴染みの居酒屋「みほ」が開店して、ほぼ週2で貸切状態。私的な人脈が爆発的に増えている時期、PTAの会合を終えて8時頃に「みほ」に電話して、「今から行くけえ。20人」と押し掛けると、既に飲んでる奴らが居る。

「お前、おそいど~」という奴らは消防団。「今日はPTAじゃけえ」といっても皆んな顔見知りですから、そこでドンチャン騒ぎして、食べる物と日本酒が無くなったらお開き。

団体名は違っても、こんなのを今も続けているだけです。まあ、考えてみれば、これが私の強みなんでしょうね。何事も楽しむ事。楽しくなければやらないし、長続きはしませんよ。皆も楽しくなければ集まりませんし。