防災の日

来年は関東大震災から100年だそうです。「災害は忘れた頃にやってくる」とはよく言ったもので、今では東日本大震災の震災遺構が数多く存在します。

が、古くは江戸時代から存在する震災石碑の傍には小さな祠や神社があり、そのほとんどの石碑には「これより下に家を建てるな」と書いてあるそうです。

三陸大津波の教訓、静かに伝えていた石碑たち 写真5枚 国際ニュース:AFPBB News (これは明治時代のものです)

しかし人々は、その石碑の存在さえ忘れ去り、また同じ過ちを繰り返したのです。

下の写真を見て下さい。これは平成25年頃の私の市政報告(パワーポイント資料)です。2014年8月20日、一晩で74人もの尊い犠牲者をだした広島市安佐南区の土砂災害現場の航空写真です。

土石流からしばらく経過した八木地区の山肌の写真
パワーポイントの画像を転写

黄色の枠内は、私が江戸時代からの地名の変遷を調べて書いたものです。

この地域は、昔から「山津波」と言われる土砂災害が頻繁にあり、それを後世への警鐘として、「蛇落地(じゃらくち)(あし)(だに):大雨で山津波が起き、山肌に大蛇が身をくねらせて落ちるような跡を残す悪しき谷」という地名になっていました。

しかし、山裾は温暖な平地が続き、野菜などの田畑が多くあり、いつしか人が多く移り住むようになって、おそらく「八木蛇落地悪谷」の名を嫌って、「蛇落地(じゃらくち)上楽地(じょうらくじ)」に、「(あし)谷⇒芦谷」にしたのではないかと思います。

そして、多くの若者が住む地域となって、「八木」というシンプルな地名となり、人々が「悪しき旧地名」を忘れ去った頃、線状降水帯の停滞により土石流が発生して、多くの犠牲者がでたという事なのです。

多くの皆さんの住まれている地域でも、意外と地名変更が頻繁に行われていますから、地域のお年寄りのお話を聞くなどすれば、ためになる事も多いと思います。

ちなみに廿日市市では「鳴川」という地名があり、これなどは河川洪水が何度もあったという処ではないでしょうか。(注:これは私の私見ですよ)

さて、週明けから、かなり猛烈な台風が日本列島を襲うようです。今の内に出来るだけの備えをしておきましょう。

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