12月議会一般質問-02

その平和教育漫画の代表と言われる「はだしのゲン」について、1973年から1974年に、週刊少年ジャンプ、1年余りで連載打切り。1975年から1976年に「市民」という左派系オピニオン雑誌に連載1977年から1980年に日本共産党が編集している「文化評論」に連載最後は1982年から1985年、日教組が編集している「教育評論」に掲載。

最初は「はだしのゲン」を高く評価していた松江市教委事務局幹部が、10巻目を読んで初めて、子供達の図書としておくのをやめたという。記者にも、「こんな描写を子供に見せられますか?」と聞いたと。

2013年にあれほどの騒ぎになった事件である。教育長や市長は、この「はだしのゲン」の内容をシッカリ確認された上で、学校の図書館に入れていると思うが、如何か? そして、子供達に対する平和教育は、戦争の悲惨さや怖さを植え付けるだけで充分だという認識なのかを問いたい。

又、昨年6月に一般質問した拉致問題のDVD視聴については、「人権教育として必要な教材であると認識している。学校現場では中学校より始めて教科部会で効果的な指導方法が深まるよう努力する」との答弁があったが、どれ程の進展があったのかを具体的に伺う。

  • 1985年まで、共産党や日教組が監修して作成したもの。思想的な偏りが無いと言えるのか。
  • CERO(コンピューター・エンターテイメント・レーティング機構)コンピューターゲームなどで、子供達に有害な描写をチェックする機関の事。

チェックする暴力描写については、出血描写・身体の分離・死体描写など。

レーティングAは、全年齢適応。レーティングBは12才以上が適応のゲーム。レーティングCは15才以上。Dが17才以上でZは18才以上のみ。仮にCEROが、はだしのゲンで問題になった残虐シーンを判定したら、レーティングCは確実で、場合によってはDになるかもしれない。刀で首をはねるシーンなどは問答無用でNGだという判断のようだ。つまり、この「はだしのゲン」は、中学生以下に見せてはいけないというもの。それでも、小学校、中学校の子供達に見せて良いと判断する基準を示せ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

TVでも、規制対象である事を認識しており、FNNで、確か2013年8月に、残虐性が指摘された映像を紹介したが、首を切ったシーンで、切断部分や飛び散る大量の血は、うまくカットしている。これは、このシーンが報道的にもNGである事実を物語っている。子供達の教育的配慮を考えれば、教育者として、これを放置した反省も無く、今後も知らん顔出来るのか?【続】

はだしのゲンの一般質問-01

令和2年12月議会一般質問「戦後教育などについて」 かくだ俊司

今年は戦後75年。広島のある被爆者団体によって、毎年8月6日に行われる平和宣言がある。 11月の臨時議会でも少し紹介したもの。

それには、昭和19年半ばから日本本土への無差別爆撃が本格化し、ソ連の仲介で終戦の道を探ろうとしていた日本へ、アメリカは明らかな戦争犯罪である2発の原爆を投下したとあり、それを指揮した米軍の将校は、「もし、我々が戦争に負けていたら、戦争犯罪人として裁かれていただろう」と言ったと。

そして、南シナ海・香港・台湾・尖閣などの日本周辺で起こっている状況では、憲法前文のごとく「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」いれば、平和な世界が訪れるとは言い難いと述べ、

「日本も、核兵器禁止条約に加盟するのが戦後の平和主義にかない、全ての被爆者の願望だと言われているが、しかし、私達も同じ被爆者と被爆2世としてそれに反論する。その条約は日米同盟を揺るがし、我国の安全を脅かすかもしれないのだ」と。

そして、核保有国が加盟しない条約で核兵器を無くせるのか?憲法の平和主義だけで我が国は平和なのか?と我々に問い、「私達の平和には、自ら守る意思と能力を、他国と同様に備える必要がある。私達は、そうした断固とした努力によってこそ、あやまちを繰り返させない。確固たる平和と安全を確保できると信じます」と結んでいる。

平和公園に刻まれている「あやまちは繰り返しません」の主語は日本ではなく、原爆を投下したアメリカである。この碑文に疑問を持たない人は、戦勝国アメリカによって仕組まれた東京裁判の呪縛に、今なお縛られたままだからだ」と。

こういう考えを持った被爆者の方々も多数いらっしゃる。いつもの見慣れた報道とは違い、被爆者の皆さんの思いは、全て同じではない事を感じ取って頂けたか? 

今の教育現場で行われている平和教育についても、「戦争の悲惨さや怖さ」のみを教えている。

終戦後、復員船でようやく日本に帰ってきた、掛け替えのない肉親の事を、「お前のお爺ちゃんは人殺しだ」と教室で教え、「日本がアジア諸国の人々に如何に酷いことをしたか」という一方的な自虐史観を、純白な子供達の心に刷り込み、子供達に祖国を徹底的に憎ませていただけではないのか。

マルクスの言葉に、「青年に対し、生まれ育った国の未来や希望の(ともしび)を奪い、祖国を呪い恨むような精神を植え付ける事が革命の近道だ」というものがある。

日教組は、これを忠実に実践してきたという事ではないか?【続】

鷹の目

>「自ら植民地化していくパターン」

政治家には、「蟻の目」と「鷹の目」が必要と言われていますが、一旦、高度な官僚機構に組み込まれた者は、よほどの信念が無い限り、特殊な「選民思想」に浸ってしまい、「鷹の目」が薄れていくのではと思っています。

やはり、官僚主導政治の限界でしょうか。官僚出身の政治家にも共通した「視野の狭さ」があります。

「蟻の目」とは2Dの平面視野であり、「鷹の目」とは高高度3Dの立体視野です。政治家の価値とは、どのような事象でも、如何に視野を広く取って成否を判断出来るかだと思いますから、「蟻の目」での現場経験と、日頃培った広範囲な知識(鷹の目)とを適度に合わせれば、それほど間違った判断には成らないと思っています。

かつて、宮澤総理の訪韓前に、慰安婦問題の鎮静化を図った官僚の浅知恵「河野談話」。これなどは、外交を国内対応と同様に考え、例え先方が間違っていても、「こちらから謝れば解決できる」と判断したものです。まさに、場当たり的な「蟻の目」外交。ここにも、日本の病理の縮図があった訳ですね。

江(沢民)の傭兵