河井氏について

>角田さんに伺いたいのですが、河井夫妻、特に奥さんは、知名度以外に何があったのですか?また、旦那さんは、奥さんをどのようにしたかったのでしょうか?

河井さんの経歴を見ると、28才で県議会議員になり、1993年の30才で衆議院議員に立候補しています。その時に、岸田氏(当時36才)と共に自民党に公認されましたが岸田氏はトップ当選、河井氏は落選。その後、中国比例の時に、何度もお会いしてお話をしています。

私は30代の頃、岸田氏のお父さんである岸田文武さん(1992年死去)の後援会(ソフィア会)の下っ端でした。その地元後援会の会合へ、数回、東京から文雄さんご家族が来られ、奥様やお子さんと共に、微笑ましいご挨拶をされたのを思い出します。その後は、議員として上京の度にお会いさせて頂いておりました。

宮澤さんは私と同年代で、衆議院議員を2000年から3期務められましたが、2009年に落選。2010年に参議院議員で当選され現在に至ります。その落選時に色んな会合で、お会いする機会があり、今でも親しくさせて頂いております。

このお二人と河井氏を見ましたら、サラブレッドにアラブ馬が対抗しようとしたという一般的な世論ではなく、幸い、3人を同じように見比べることが可能だった普通の人間の視点として、やはり、人間性の問題ではなかったかと思います。

分かり易く言えば河井氏は、広島県で同じ様なスタートをしながら、「血筋が良いというだけで、何でこいつ等が!」という思いで、女房と共に「河井克之」を、世にぶち上げたかっただけなのではないかと思います。

河井杏里さん自身は、普通の人以上に上昇志向があっただけだと思います(政治の世界では、普通に大勢いらっしゃいますけど)。杏里さんは、どうか考えても、悲劇のヒロインにはなれないでしょ。政治の素人が確かな階段(上昇気流)も無いのに、いきなり県議会から県知事へ、また、国会議員へと駆け上がれるわけはありません。ある意味、似たもの夫婦なんでしょうね。