武漢肺炎「元凶は中国がカナダから盗んだコロナウイルス」説を追う 2/4(火) 7:01配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200204-00070210-gendaibiz-cn&p=2
この事は確たる証拠がなく、飽くまで推測の域を出ない話である。しかし、その疑いをもたれるだけの前例が中国にはある。
2002年11月に中国で発生した「重症急性呼吸器症候群(SARS: severe acute respiratory syndrome)」は、当時の新型コロナウイルスによって発症し、2003年7月に終結宣言が出されるまでの約9か月間にわたって、有効なワクチンも治療法もない感染症として世界中を恐怖に陥れた。
2004年4月には、北京市や安徽省でSARSに類似した症状の患者が複数回発生したことがあったという。その詳細は公表されていないが、中国政府「衛生部」は2004年7月に「学生の規則違反によりSARSウイルスが実験室から流出したことが原因だった」との調査結果を発表している。
2003年7月にSARSの終結宣言が出された前後に、当時の武漢市長であった李憲生と中国科学院副院長の陳竺が、細菌やウイルスなどの微生物・病原体などを取り扱う実験室や施設の最高レベルであるバイオセーフティレベル4(BSL-4: biosafety level-4)(以下「BSL-4」)の「生物安全実験室」を建設する計画にゴーサインを出し、中国初のBSL-4実験室を持つウイルス研究施設を武漢市に建設することが決定された。
2004年10月に訪中したフランスのシラク大統領は武漢NBLと命名されたBSL-4ウイルス研究施設の建設を支援する協議書に調印したが、フランスでは、中国がフランスの提供する技術を使って生物兵器を作るのではないかとの反対意見が出されたし、国家情報部門も政府に対して警告を行ったのだった。
この武漢NBLの建設は種々の要因によって先延ばしされたが、フランスと中国が設計を共同で行い、技術と設備をフランスから導入し、建設を中国が担当する形で、2015年1月31日に武漢NBLは竣工した。 2017年2月23日には武漢市を訪問したフランス首相のベルナール・カズヌーヴ(Bernard Cazeneuve)が武漢NBLの開所式に出席してテープカットを行い、2018年1月5日に国家認証を取得したことによって武漢NBLは運営を開始した。
2017年2月23日付の英科学誌「ネイチャー(Nature)」は開所式を控えた武漢NBLについて報じた記事を掲載し、先に述べたSARSウイルスの流出事故や、中国の官僚主義的な隠蔽体質を理由として、武漢NBLが運用開始後に何らかの人的ミスにより毒性を持つウイルスがBSL-4実験室から流出して中国社会にウイルス感染が蔓延し、大規模な混乱が引き起こされる可能性を懸念していたのだ。 現在の武漢肺炎がパンデミックの状況にあることを考えると、この3年前の予測は的中したということになる。