父性の欠如

>人と戦うのが苦手なら,自然と戦うのですよ.

スポーツ中継の勝敗に思わず熱狂してしまうように,人は(こと人の父性は)そもそも戦う本能を宿しています.残念・・・と思うかもしれませんし,思わず武者震いするかもしれませんが,とにかく「その心(=父性=闘争心)」に気づき,受け入れることです.平和はただで手に入らない,というのは,要するにこういうことだと私は考えています. 

戦後日本人の病理は、「父性の欠如」にあり。非常に分かり易いです。

イギリスの植民地支配に、非暴力で戦ったインドのガンジー氏も、「もし、家族が暴漢に襲われたらどうするのか?」と問われると、「棒切れを持ってでも戦う」と答えたそうです。

日本のしょうもない変態左翼は、そのようなガンジー氏の思想信条を知らずに「無抵抗主義」の処だけを利用して、残念なサヨ君を多く生み出しています。

日本の学校の平和教育も然りで、戦争の悲惨さや恐ろしさを子供達に植え付けるだけが目的となり、国が平和を維持するためには何が必要かという視点が抜け落ちている事に気付きもしません。

世界中の人々が日本人のように、優しく気配りに富み、穏やかな人々ばかりなら、それでも何とか生きていけますが、「世界は腹黒い」人々で溢れているのです。

たった一回の敗戦で、ここまで徹底して洗脳された日本人を、戦前の健全な父性を保てる状態にまで戻すことは、確かに難しいと思いますが、戦後レジームからの脱却を目指すなら、「国防」というものを、しっかりしたスタンスで教育するしかありません。

これが本当の平和教育のはずなんですが、多くの人が理解するまでは、まだまだ時間が掛かると思いますね。

トルストイは、「誰もが世界を変えたいと思うが、誰も自分を変えようとしない」という言葉を残しました。私自身、たった1人の人の凝り固まった思い込みを変える事も出来ないのに、理想論ばかり書くのは確かに気恥ずかしく、筆が止まる思いもあります。