居候が居たようです

残念ながら、ピロリという居候が住んで居たようです。「胃癌や潰瘍は見つかりませんが、昭和30年以前の人は80%の確率で居ますから普通ですよ」とは言われました。でも普通に面白くありません。今日から1週間断酒で~す。

夕方17:30頃からの神輿上げが最高です。是非、見に来てください。

日曜は地元天満宮の秋祭りですから、今年は35年間中最悪の、「しらふ」での祭りになりそうです。10時半に天満宮に行って、行列は若い連中に任せ、中央公民館で夕方まで、女房と夜の打上げの料理の手伝いをしながら過ごします。

わしらの小さい時にゃ~、拾い食いばっかりしよったけぇ、しょうがないの~。 今日は、ふて寝じゃ~

ピロリ菌がいませんように~

>一度道路整備見直しして、再計画することを期待したいものです。 寝るケーノさんが先日お話された2号線道路をJRの線路上に作る。 斬新で良い案だと思います。

私が学んだ頃の都市計画と現在の日本の置かれている状況は、180度とまでは言いませんが、相当に違ってきました。

私は団塊の世代の尻尾であり、昭和44年の大学受験の時は学生運動真っ盛り。

私には縁のない出来事でしたが、東大紛争で東大入試が中止。3000人余りの東大合格予定者が涙を呑んで、地方の国立大へ進学し、私立大はそのあおりを受け、この一年に限り多くの受験生で溢れかえりました。

ですから、「人口減少?少子高齢化?防災の街づくり?低酸素社会って何?景観に配慮?」という時代の都市計画なんて、今では、ほぼ参考にはなりません。

当時は確か、佐藤栄作総理で、「三角大福」と言われた三木・田中・大平・福田の一時代前。田中角栄の「列島改造論」から、高度経済成長の助走が始まる訳ですから、ずいぶん昔のお話ですね。

今、実施されている国土計画も、広域交通網も、その当時になされた計画ですから、小市民さんが言われる通り、どこかでガラガラポンしなくてはいけなかったのですが、それを邪魔するのが各省益の綱引き。

国土計画なんて、もろに国交省だろうと思われますが、同じ道でも大規模農道・広域農道って言えば農水省。同じ国交省でも、JRと高速道路事業の確執なんて凄いですね。こういう処こそ国交省が上手くまとめれば良いのですが、国家観の違う創価学会では難しいのかもしれません。

私が言った「JR線の上に国道を」ってのは、まさにこれで、道路を作るための土地買収は、お金が掛かり過ぎるから上に載せるというだけじゃなく、10年後、自動運転の車が普通に走る時代。車はカーシェアで乗り捨て自由になるので、今からJRと国道の結節点(本当の道の駅)を沢山作って、より国民の利便性を向上させるという意味でした。申し訳ない。説明が言葉足らずでしたね。

さて、今日はこれから、ピロリ菌の検査で病院へ行きます。今朝は何も食べてないので、少し元気がありませ~ん。

ピロリ菌がいれば、当分禁酒かな・・・と思うとかなり憂鬱な気分です。