自宅の斜め前に、南北の道路に挟まれ西側に幅1m程の私道がある自社の建設作業場兼事務所がありました。その南側を3年前に2/3程解体し、昨年、土地の半分ほどを売却。残りの方の二階に風呂・トイレ・流し台、事務所設備があったので、一階の半分と二階全部を事務所兼車庫・倉庫で、今は借家にしています。
そこで売却した敷地と、借家の間に10坪くらいの空き地が出来ましたので、今年の5月に、畑を作ろうと思いつき、2年前から、自宅の猫の額ほどの庭で、菜園を始めている長男に相談すると、「最初じゃけえ、半坪くらいにしときんさい」と、孫たちと一緒に土作りを教えてくれました。
簡単そうに見えるパプリカ3本とカボチャ1本を植え、少し離してレモンの木を植えました。
今年は例年に比べ、とても暑かったので、水やりは朝晩2回。日々、成長を見るのは結構楽しいものです。家庭菜園にはまる人達が多いのも判ります。
しかし、家庭菜園の本を読んでみると、植物を育てることは、生物界の厳しい掟をそのまま実行することなんですね。
例えば、種から育てるものは、5cm間隔で植えた双葉で、大きなものだけを残して他は摘み取り、20㎝以上の間隔を取る。
パプリカは、最初の花をすぐに摘み取らなければ、茎が太くならないので、実付きが悪くなる。
カボチャは、5枚くらい葉が付いたら、ツルを2本までにし、脇芽は摘み取る。
カボチャが1つ育ち始めたら、その先のツルを切って、幹の負担を軽くする。
まさに、「可哀そう」が通用しない世界なんです。
最近になって、「優勢保護法」が問題になっています。 これが問題なのは分かっていますが、動植物共通の「種の保存」からすると、あのホーキンス博士は、摘み取られる対象となるかもしれない。
しかし、人間の場合は、体が動きにくくても頭がある。 どんな障害があっても、人の役に立てる立場が必ずある。 自分は何も出来ないと思っても、自分が存在するだけで癒される家族や仲間がいる。 やはり、生と死を正面から捉えられる知能を与えられた者として、脇芽を摘み取るような真似は出来ないと思います。 将来、その脇芽に助けられる事もあるはずですから。
今朝は、その成長したカボチャを収穫しました。
神棚に、これからお供えします。 ちょっと、小さいけど。