日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
上記の文は、「日本国民は、諸国民を信頼して」となりますから、この「諸国民」って誰だ?と聞いても、評論家の先生方は、皆お口「モゴモゴ」で、何も答えられなかったと青山さんは仰っていた訳です。
早い話、日本の国土周辺の、特亜3国を含む、日本人以外の人々という意味だと解釈できます。
小市民さんが、書かれた通り、憲法9条に第3項を追加するのも1つの方法ですが、その前に・・
国連憲章の位置づけについて考えてみたいと思います。
日本では、国際法や条約は、各国の憲法の上位法であると言われる方が多い。 私もそうあるべきだと考えています。が・・・
もし、「国連憲章>憲法」であれば、国連憲章 第五十一条の、
「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」の文言で、
「集団的自衛権も、国家固有の権利であると国連憲章に示されている」と言えば、国会論議も終了するはずです。
フランスやオランダなども、「国際法・条約>憲法」ですが、現憲法を死文化出来ないよう「合憲の規定」があるようです。
また、オーストリアなどは、はっきり「国際法=憲法」となっています。
一方、アメリカは、「(連邦)憲法>国際法・条約」という解釈。
なぜ、なのか?
理由は色々とあるのでしょうが、「常にアメリカの国益を優先する」という姿勢が、国際法を無視・違反することを容認しているのだと思います。
(これは、トランプ政権以前からのお話ですから、誤解の無いように)
お判りのように、各国の考え方で上位法の解釈は違いますが、どの国も、基本的に現憲法との整合性を重要視する処は同じのようです。
国家っていうのは基本的に、自国優先主義で他国の事は考えていない事は何度も申しました。
戦時国際法に違反して日本に憲法を押し付けた米にとって、国際法っていうのは無力な存在なのだと、改めて分かります。
小市民さん、確かにメガフロートの研究は、大手ゼネコンの方が、自由度が大きいかもしれませんね。写真のモルディブの浮島のような、巨大なメガフロートの例もありますし、また、色々と教えて下さい。