今朝の三橋貴明さんのブログより

財務省の罪:あまり興味のない話かもしれませんが、国の財政を操作できる財務省が、実は日本の景気を意図的に押し下げ、20年以上(正確には、橋本龍太郎政権で消費税増税が行われた翌年から)も、デフレから脱却させないようにしている事をご存知でしょうか? この話は、今日の1本では終わらないかも。

皆さんは、「日本は国の借金が1000兆円を超えて、日本人一人当たりの借金額は××万円もあるので、先進国中で最も財政が悪化しており、国はいつ破綻してもおかしくない」って、お話をTVでよくお聞きになると思います。

でも、国内総生産(GDP)は、アメリカに次ぐ実質世界第二位。シナは、莫大な粉飾決算のため数字は信用できませんし、14億人という人口比からすれば、日本とは比較にならない程、実質GDPは低いのです)

そして、世界一の債権国(カネを融通してもらってる国を債務国、融通してあげてる国を債権国といいます)。 日本は、海外に対して膨大な貸しがあります。 貸し(対外資産)が約550兆円、借り(対外債務)が約300兆円、差し引き約250円兆円の対外純資産をもっています。 250兆円というのは他国では考えられないくらい莫大な資産で、日本は断トツで世界一の債権国です。(日本の国家予算は約100兆円、国家予算の2.5倍の資産を持っている国は、世界中どこにも存在しません)。

その国が、財政破綻? 国の借金が1000兆円を超えた? 全て嘘です。

まず、「国の借金」ではなく、「政府の借金」であり、それは通常、政府が発行する「国債」という形(政府が発行する返済期日付の借用書のようなもの)で、国内の銀行などの金融機関や、会社・個人などが買います。 金融機関の金の出どころは皆さんの預金ですから、国債は皆さんのお金が原資。 つまり、政府にお金を貸しているのは日本国民の皆さんであるという話。 「国民一人一人の借金が~」ではなく、「政府の借金=国民の資産」なのです。(貸借対照表をご存知の方なら、一発で理解して頂けます)

以上のことを念頭にして三橋さんの文章をご覧下さい。赤字は私のコメントです。

(1) 日本政府の負債は100%日本円建てである(円建て:他国の景気に左右されないので、日本政府の発行する国債は非常に安定している)

(2) 日本銀行が量的緩和を継続し、続々と日本国債が買い取られていっている。18年3月時点で、日本国債の44%は日本銀行保有(返済期日の来た国債は、銀行等から日本銀行に買い取られる⇔当たり前の話。1000兆円ある借金はいつの間にか半分近くに減少していますよ)

(3) 日本銀行が保有する国債について、政府は返済や利払いの必要はない(連結決算で相殺される)(これは大変重要な処で、日銀は権限を含めて政府の管理下にあるので、判りやすく言えば、「夫が政府なら日銀は妻」。夫が妻から一時的に借金したものに、隣の家の旦那が「つまんねえ野郎だな」と言っているようなもの。家の中の金の貸し借りなんぞ、外から見れば借金になるわけはないのです。長期的にみれば、夫「政府」の稼ぎ「税収等」で、妻「日銀」を養っている訳ですから)

(4) 財政健全化の「グローバル」な定義は、政府の負債対GDP比率の低下(景気をよくするためには国内総生産GDPを上げることです。景気が上がれば、マイナス金利の国債なんぞ銀行が持つ理由なんてありません。すぐに日銀に国債を買い取ってもらって現金化します。銀行には今も金が余っているのですから、民間会社へ貸し付けたほうがよっぽど儲かります)

(5) 日本銀行が保有する国債は返済・利払いが不要であるため、政府の負債に含める必要はない(財務省の言いなりになっている政府は、国債の金利を国家予算の中から支払ってますが、こんなバカな事やっている国は日本だけ。夫が妻から借りたお金に利子が要りますか?・・誕生日に花束でも贈れば全てチャラでしょう?)

 「国の借金はGDPの二倍に達しており、ギリシャより悪い。日本は財政破綻する!」と、まるで壊れたロボットのごとく繰り返します。 さらには、 「今は問題ないかも知れないが、いずれ日銀の出口戦略が必要なので、破綻する!」などと、わけの分からないことを言い出すわけです。

日銀が保有する国債など、地球滅亡の日まで放置しておけばいいのです。(インフレ気味になったら、むしろ日銀は国債を売却する必要がありますが)

それでも気になるならば、政府が「無期限無利子国債」(この国債を発行すれば、貨幣と同等の扱いとなり、市場に多大な良い刺激を与えます)を発行し、日銀保有国債を回収してしまえば終わりです。

それにも関わらず、なぜ「事実」から目をそらし、財政破綻論を叫び、政府の国債発行を妨害しようとする勢力が絶えないのか。

もちろん、過去に財政破綻論を主張した人は、「自分の過去の言動」に縛られ、今更正しいことを言えないという問題があります。
さらには、緊縮財政を推進することで「出世」するという、財務省の文化も問題です。

   とはいえ、それ以上に決定的に重要なのは、「日本国民」の多くが政府の支出や国債発行に嫌悪感を示すという現実です。

なぜ、あそこまで非合理的な反・公共事業や反・原発がそれなりの支持を得たのか。なぜ、政府の国債発行について、自分たちを利するにも関わらず、「国の借金を増やすな」という感情的な反対論が絶えないのか。

理由は、大東亜戦争敗北後の日本の「文化」の中心に、「政府への不信」があったため、というのが佐藤先生の主張です。

国民が政府に「不信感」(※「安倍政権に」といった話ではありません)を覚えている以上、財政拡大や国債発行に対する支持が盛り上がらないのも無理もありません。 信用できない政府の支出拡大や負債拡大を、国民が認めるはずもないのです。

もっとも、政府に対する不信が財務省の緊縮財政路線を強化し、インフラは老朽化。国民が自然災害から守られない国に落ちぶれてしまいました。

実際に自然災害が勃発すると、国民を助けてくれるのは自衛隊、警察、消防といった「政府の機関」の人々なのです。さらには、公共事業という政府の仕事で所得を稼いでいた地元の土木・建設業者の人々。

さすがに、実際に「政府」に関係する人々に助けられれば、「いざ、非常事態が発生した際に、自分たちを助けてくれるのは誰、あるいは何なのか?」 について、理解する国民が増えているように思えます。

政府に対する不信が緊縮財政を継続させ、インフラを壊し、自然災害に対し国民が脆弱になった結果、政府の力が見直され始めている皮肉な状況が「現代」だと思うのです。 (終わり)

今日はこのへんで終わります。 続きは気が向いたら ^^;;