>米墨戦争というヤツです
今でこそ、「アメリカは世界の警察ではない」なんて言う正義面してますが、コロンブスの時代から、独立戦争、西部開拓など・・・、インディアンと呼ばれた原住民の虐殺から始まり、メキシコへ自国民を大量移住させて、勝手にテキサス独立宣言後、米墨戦争をしかけ、恐喝の上はした金で、メキシコ領の1/3以上を掠め取って、太平洋まで領土を拡大。
米南部は、アフリカから黒人奴隷を買い入れて、綿を大量に生産し、産業革命のイギリスへ輸出、余りに荒稼ぎをし過ぎて、貧乏な北部なんて要らないと、離脱宣言したものだから、1861年に南北戦争勃発。
(当時の南部の農民の栄耀栄華の証が「風と共に去りぬ」という映画です。 あれは、普通の綿農家が、奴隷をこき使いながら、自身は貴族のようななりをして、毎日、夜遅くまで舞踏会をする。 だから、毎夜、何百本というロウソクが要る。 そのロウソクを作るために、大西洋のクジラを取り尽して、太平洋に出る羽目になり、ペリーの日本開港となったのです)
そこで北軍のリンカーン大統領は、金が無くて困ったか? 否!
以下は、その救世主が、なんと日本であったという「落ち」話です。
1860年は、日本の安政7年で、大きな事件と言えば「桜田門外の変」。
その6年前に、ペリー来航で日米和親条約が結ばれ、日本はアメリカ捕鯨の補給基地となり、1858年には、初代総領事のハリスにより、関税自主権が奪われた、あの悪名高き不平等条約「日米修好通商条約が結ばれました。
当時の日本は、金の産出量が世界有数の国。マルコポーロの東方見聞録にも書かれているように「黄金の国ジパング」と呼ばれる所以です。
他国との交易が、ほぼ無かった時代なら良かったのですが、1858年の日米通商条約の時の、金と銀の日本の交換比率は1対5。
でも、海外では通常1対15の比率だったのです。 金が3倍の価値。
これは、小学校の教科書にも書いてあります。
そこへ目を付けたハリス君は、当時流通していたメキシコ銀貨4枚と、日本の一分銀12枚を同等の価値として両替。
その一分銀12枚を、小判3枚と両替して、それを上海でメキシコ銀貨に両替すると、なんと4枚が3倍の12枚になる計算。
かくして、日本から大量の金が流出し、ハリス君の上司リンカーン大統領は、日本と上海を往復するだけで儲かるメキシコ銀貨を、大量に本国へ輸送させ、北軍の軍資金として、立派な軍服を揃え、武器弾薬を買い、今でも拳銃やライフルのメーカーであるスミス&ウエストン、コルトなどの企業を大きく育てたのです。
アメリカだけが悪い訳ではありませんが、南北戦争で北軍を勝利に導いたのは日本だったという落ち。
ついでに書けば、その後に日本が幕末期にイギリスやフランスから買った銃器は、ほとんど南北戦争で使われたお古であったとの事。
アメリカは、日本で二重に丸儲けしたという落ちでもありました。
書いてても、腹立つな~ ホンマ。