>結局,教育委員会というシステムそのものへの疑問に,行き着いてしまいますね.この問題は.
専門家のこなさんに言うのも口幅ったいのですが、教科書採択は、市町村の教育委員会で、最も大切な仕事だと私は思っています。
しかし、全国の教育委員の皆様は、それ程、教科書採択の重要さを感じておられないのでは?・・・・と思っている地方議員の私の方がおかしいのでしょうか?
義務教育学校は、4年毎に各学科の教科書を、教科ごとに専門員と呼ばれる何名かの中堅教諭が調査研究して、その調査資料を、校長や学識経験者などで構成される選定委員会に上げ、そこで審議された内容をもって、各教育委員会に上程して、教育委員会会議において各教科書を決定する制度になっています。
最も大変な仕事である調査研究の専門員は、各学校の校長推薦などで出されており、結構堅実で将来有望な教諭を選ぶので、意外にも極端な左巻きはいない事が最近判りました。
それなのに何故・・・あんな偏向した教科書を選ぶのか?
はい、簡単な事です。大学の教育学部で真っ赤に洗脳されてから卒業するのですから、優秀な良い教諭でも、標準がピンク色のサヨ君なのです。しかも、先生になってから、自ら自国の歴史を勉強などする時間なんて無い。社会の先生でも、教科書会社の作った赤本以外の文献など、ほとんど研究しない。
だから、従軍慰安婦は性奴隷、40万人南京大屠殺、日本人は戦争犯罪人と言われても、それを鵜呑みにして、反論する知識など最初から無い。
専門の教育者でさえそうなのに、レイマン・コントロール(常に専門家だけでは偏った判断になるため、素人と言える一般市民の第三者的な考えに委ねる)を前面に出された教育委員会のメンバーが、専門員が選び、選定委員会で審議して優劣を色付けされた教科書に、異議を唱えられる訳がない。
これが、こなさんが言われた「教育委員会というシステムそのものへの疑問」となるのです。
又これは、「官公庁が責任回避するため、都合のよいメンバーによる民間の審議会を作り、行政主導でシナリオ通りの結論を導きだすシステム」と、非常に似通っています。
これを、あまりやり過ぎると、行政とて組織が腐り始め、市民のニーズと乖離した政策が平気で行われるようになります。
あれ? どこかの市と似てるな~ ^^;; 廿日市市ではありません! って言いたいけど・・・