未歳馬齢さん、初めまして。 私と同様に、政治ブログランキングをお読みのようで、うれしく思います。 小坪市議とは比較にもならない処ですが、お暇な時にお寄り頂ければ幸いです。
さて、昨日の産経ですが、「心は女性」男性も受け入れ 御茶ノ水 という記事がありました。
女子大 存在意義は?とか、共学化議論の呼び水なんて書いてありました。
それなら素直に、男女共学化議論に移行すれば良いのに、「戸籍上は男性でも自身の性別が女性と認識しているトランスジェンダー学生の受け入れ決定に踏み切った」・・・正直、この人の頭は大丈夫か?と思いました。
御茶ノ水の学長は、「多様性を包摂する社会の対応として当然」と言っていますが、「多様性を包摂する社会」って、どんな社会なんでしょうか?
検索;「”What We’re Doing To Keep Building A Diverse Editorial Operation”と題したブログ記事でBuzzfeedの編集長であるBen Smith氏は多様性を以下のように定義している。
十分な人数が集まったグループの中に、民族や性差、性的指向、宗教、性同一性、社会経済的背景、障害などについて、そのグループの視点を代表する人を必要としない状態です。」(終わり)
「グループの視点を代表する人を必要としない状態?」・・・これって、100人の人が居れば、100通りの結論を容認することですよ?
つまり、民主主義の原点である多数決を否定して、「法などの支配を受けずに、それぞれの人が好き勝手に出来る世の中に対応したい。」と、大学の学長が言っている訳です。
確かに、一部の方々には素晴らしい世の中でしょうが、普通の人々にとっては暮らしにくいと思いますよ。
財布を取られても、女房を強姦されても文句は言えない。 何でも欲しければ盗めばよい。 隣人が気に入らなければ殺しても良い・・・
どうでしょう。 こんな世の中にしたいですか?
話を戻して、性的マイノリティ。 確かに昔は、彼らが非常に生きにくい時代であったことは確かです。 それが、今ではマスゴミで、完全に市民権を得ています。
これで充分ではないでしょうか? 彼らは、それ以上の事は望んではいない筈です。
ある意味、マスゴミのさらし者、笑い者になって稼いでいる自分自身を自覚しているのですから。
学長さん。 善人面して、全国民の0.1%にも満たないマイノリティに対して、「あなた方を受け入れます」って言っても、どんな責任が取れますか?
今、言われている性の「差別」のほとんどは、「区別」です。
記事にも書いてありましたが、「27年には、福岡女子大の入学願書を受理されなかった福岡市の男性が不当な性差別で違憲だとして提訴した」との事。
こんな阿保に対して、まともな人々がまともな対応をしてどうするの?
こんな事ばっかりしていると、こんな人にもまともに対応しなくてはなりませんよ。
本人は、「私は女性と認識しているので、女性トイレ行きたい」って。 こいつ、どう見ても男だろう?
寝るケーノさん、お疲れ様です。
この話で30年前、学生時代に御茶ノ水大学の方に知り合いがいて、この区別・差別について、と前置きして話してくれたことがあります。
御茶ノ水の先生たち(30年前)の大半は、北関東や東北に存在した県立高校の男女共学化を進める方が多かったそうです。
※北関東や東北の県立高校は、○○市の○○高校は男子高、○○女子高というところが多く(歴史が古ければなおさら)茨城では○○一校は男子 ○○二高は女子などといった具合
それも、本当は一番最初に問題しなければならない国立大学の女子大学(当時も御茶ノ水と奈良)の存在は認めるという、区別ならぬ差別を助長しているのでは、
という話でした。
その話を思い出しました。
どうせなら共学にしたほうが、ジェンダーフリー学校としてその手の方々からは大いに称賛されるでしょうに。
あっ、田×先生などは、女性が男性よりも優位にならなければ平等ではなかったから、違うかな?