選挙、終わりました。 人の選挙ですけど・・・
まあ結構、広島市へ応援演説で行かせて頂きました。 金曜日の2件が最後でしたが、人の選挙とはいえ、段々自分のスピーチに力が加わるのが判ります。
議員の性と言えるのでしょう。
書きたい事は、山ほどありますが、17日が廿日市市議会の議長選挙。
あまり書いても、微妙に影響してはいけませんので、1つだけ。
2年前の議長選挙では、現市長が現議長を連れ回り、「おい、次の議長選はこれで頼むで」と、強烈に根回しされました。
これは別に選挙違反ではありませんが、常識的な観点からは「してはいけない事」です。
議長と行政の長は、両輪とはいえ一体であってはなりません。 行政の案件に対して審議し、結論を出すのは議会。
その議会の長を市長が決めれば、何が起こるか?
行政の案件に対しては全てイエスの、行政として素晴らしく対応が楽な議会が誕生します。 今の市議会は、まさにそういう議会ですから、議会人としては、最低限、それに対して抵抗しなければなりません。
でも、あえて反対するエネルギーより、黙って賛成してた方が楽ですし、市長から、自分の組織や地元へ、ご褒美を頂ける可能性もある。
議員ってのは、嫌われてナンボの世界です。 多くの人に好かれようなんて人は、最初から議員になる資格はないんですよ~
さあ、17日に、どういう結果が出るか? 私の支持する議員が落選すれば、また、同じ「魑魅魍魎の法則」が動いたという事になります。
市長! もう悪いことしちゃ、ダメだよ。 議長も、事務局長も寝るなよ。議場で。
寝るケーノさん、お疲れ様です。
長男から面白い質問を受けましたので、記述します。
1『平和の規定・概念て何?』
2『各国よって平和という言葉の意味合いがかわるのではないか?』
寝るケーノさん、皆様、平和の概念とな何でしょうか?日本国憲法9条では、国際平和を希求し・・・とあります。もしも日本の平和概念や規定が諸外国と一致しないのであれば、9条は全く国際的には意味を持たないものとなりますよね?では9条とは日本の平和概念や規定を諸外国に押しつけるものなのでしょうか?
また前文にはこのようにもあります。
>日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
この解釈はいろいろとできるともうが、(本当はそれが一番の問題だが)平和の定義や概念の一致なくしてどのようにして平和を維持できるのでしょうか?
この1ヶ月かなり多くの文献を漁りましたが、読めば読むほど平和の概念・規定が難しく、または各国で違いがみてとれて、諸外国と平和を維持することは不可能ではないでしょうか?