非常にわかりやすい資料ですね. とても参考になります. 私が若かった時代は, 「石油の枯渇」,「その他資源(亜鉛など)の枯渇」が叫ばれていました. その次は, 「世界人口の爆発的増加と食糧危機」 「地球砂漠化」 でしょうか. さらにさらに, 「地球温暖化」 の議論が出てきて, 「再生可能エネルギだけが善」 の大合唱.そして, 「EVだけが善」 の虚構が,ついに隠しおおせなくなってきているというわけです. 早い話が,私もだまされたのですが,上に書いてあるような大げさな主張は全て, 「科学的な根拠に基づいている顔をした,しかしその実極めて政治的な主張」 に過ぎなかった・・・,というのが,歴史が証明しているところです. そして面白いことに,この手の言動に, 「だまされた方が損をしている」 ことも一貫して事実なのでした. 返信 ↓
もちろん,だからと言って,上記のような言動を全て「陰謀論」だとかいうつもりはありません. 私に,辛くも分かることは,これらの主張のほとんどが,「社会主義思想の幻想」から生み出されている点くらいです. 科学・技術の進歩は,19世紀から20世紀にかけての世界を大きく発展させました.この考え方を「社会」にも適用しよう! というのが,社会主義のベースとなっている. しかし,20世紀に生み出された「社会主義国家」=「科学的な国家運営」は,ことごとく失敗に終わりました.結論から言えば,人々の心情を含めた「社会」は,物理・化学といった自然科学ほどには単純じゃなかったのです.「F=ma」を知ることで,物理学は大いにかつ正しく発展できましたが,「人間社会は階級闘争」という仮説を社会に適応したところで,社会が大いにかつ正しく発展することはなかったのです. ただし,先の書き込みに並べた「石油の枯渇」から「EVだけが善」までの主張をする人は,自分のたまたま見つけた(あるいは気に入った), 「科学的知見を振り回せば,社会をよりよくコントロールできる」 と信じているように,私の目には映ります. 「公害のない社会」 「資源枯渇のない社会」 「貧困のない社会」 「差別のない社会」・・・, そういう,理屈としてあるべき社会が,科学的な根拠(やれ,CO2がふえつづけているから)による行動指針を縦さえすれば,実現すると・・・,考えている. でも,人の心はそうじゃないのですよね.残念ですが. 返信 ↓
科学的な根拠(経済学なども含みますよ)と,社会に向けての行動指針は,実は直接的・絶対的な主従関係はありません. 「技術」の分野に身を置く一人として,私も,この事実になんとなく無力感を感じたりすることもあります. 分かりやすい例として,自動車事故を挙げてみます. 私は,自動車事故数を劇的に減らす方法を知っています.科学的根拠も明確ですし,技術的にも十二分に可能です.それは, 「自動車に40キロ/時の速度リミッターをつける」 です.実に簡単.現に,原動機付き自転車には速度リミッターが大昔から付けられています(なかった,もっと沢山事故死者が生み出されていたと思います). 高速道路など,特別な道でのみ,「リミッター解除の信号」を出しておけば,高速道路は80キロ/時で走れます.これまた,安全な速度です. またとない,「科学的な理屈で正しい,社会における行動指針」です. でも,人々は絶対にそれをやりたがらない.なぜなら, 「自由に,勝手気ままに(時には速度超過して)自動車を運転したいから!」 です. 返信 ↓
国家の運営は,経済の復興は,したがってというか,残念なことにというか,科学的根拠に従うだけではどうにもなりません. 悪く言えば,場当たり的な対処療法しか,やりようがない.しかしとこ日本に関して言えば,度重なる自然災害のことを考えるだけでも,理屈通りにいかないことは明白ですよね. 日本において久しく聞くことのなかった, 「国家建設」 は,見方によっては場当たり的な「土建国家」像でもあります.しかし,それを言うならケインズだってそのやり方でしたからね.まあ,屁理屈的に言えば,「場当たり的にも見える国家建設」は,理屈の通った経済政策にもなりうるわけです. 返信 ↓
非常にわかりやすい資料ですね.
とても参考になります.
私が若かった時代は,
「石油の枯渇」,「その他資源(亜鉛など)の枯渇」が叫ばれていました.
その次は,
「世界人口の爆発的増加と食糧危機」
「地球砂漠化」
でしょうか.
さらにさらに,
「地球温暖化」
の議論が出てきて,
「再生可能エネルギだけが善」
の大合唱.そして,
「EVだけが善」
の虚構が,ついに隠しおおせなくなってきているというわけです.
早い話が,私もだまされたのですが,上に書いてあるような大げさな主張は全て,
「科学的な根拠に基づいている顔をした,しかしその実極めて政治的な主張」
に過ぎなかった・・・,というのが,歴史が証明しているところです.
そして面白いことに,この手の言動に,
「だまされた方が損をしている」
ことも一貫して事実なのでした.
もちろん,だからと言って,上記のような言動を全て「陰謀論」だとかいうつもりはありません.
私に,辛くも分かることは,これらの主張のほとんどが,「社会主義思想の幻想」から生み出されている点くらいです.
科学・技術の進歩は,19世紀から20世紀にかけての世界を大きく発展させました.この考え方を「社会」にも適用しよう! というのが,社会主義のベースとなっている.
しかし,20世紀に生み出された「社会主義国家」=「科学的な国家運営」は,ことごとく失敗に終わりました.結論から言えば,人々の心情を含めた「社会」は,物理・化学といった自然科学ほどには単純じゃなかったのです.「F=ma」を知ることで,物理学は大いにかつ正しく発展できましたが,「人間社会は階級闘争」という仮説を社会に適応したところで,社会が大いにかつ正しく発展することはなかったのです.
ただし,先の書き込みに並べた「石油の枯渇」から「EVだけが善」までの主張をする人は,自分のたまたま見つけた(あるいは気に入った),
「科学的知見を振り回せば,社会をよりよくコントロールできる」
と信じているように,私の目には映ります.
「公害のない社会」
「資源枯渇のない社会」
「貧困のない社会」
「差別のない社会」・・・,
そういう,理屈としてあるべき社会が,科学的な根拠(やれ,CO2がふえつづけているから)による行動指針を縦さえすれば,実現すると・・・,考えている.
でも,人の心はそうじゃないのですよね.残念ですが.
科学的な根拠(経済学なども含みますよ)と,社会に向けての行動指針は,実は直接的・絶対的な主従関係はありません.
「技術」の分野に身を置く一人として,私も,この事実になんとなく無力感を感じたりすることもあります.
分かりやすい例として,自動車事故を挙げてみます.
私は,自動車事故数を劇的に減らす方法を知っています.科学的根拠も明確ですし,技術的にも十二分に可能です.それは,
「自動車に40キロ/時の速度リミッターをつける」
です.実に簡単.現に,原動機付き自転車には速度リミッターが大昔から付けられています(なかった,もっと沢山事故死者が生み出されていたと思います).
高速道路など,特別な道でのみ,「リミッター解除の信号」を出しておけば,高速道路は80キロ/時で走れます.これまた,安全な速度です.
またとない,「科学的な理屈で正しい,社会における行動指針」です.
でも,人々は絶対にそれをやりたがらない.なぜなら,
「自由に,勝手気ままに(時には速度超過して)自動車を運転したいから!」
です.
国家の運営は,経済の復興は,したがってというか,残念なことにというか,科学的根拠に従うだけではどうにもなりません.
悪く言えば,場当たり的な対処療法しか,やりようがない.しかしとこ日本に関して言えば,度重なる自然災害のことを考えるだけでも,理屈通りにいかないことは明白ですよね.
日本において久しく聞くことのなかった,
「国家建設」
は,見方によっては場当たり的な「土建国家」像でもあります.しかし,それを言うならケインズだってそのやり方でしたからね.まあ,屁理屈的に言えば,「場当たり的にも見える国家建設」は,理屈の通った経済政策にもなりうるわけです.