地元の氏神様である廿日市天満宮の秋祭りです。
由来は、鎌倉時代に遡ります。 平清盛が築造した宮島の本殿回廊が、1220年代の二度の大火で焼け落ちました。
その修復の為、幕府から遣わされたのが藤原親実。 彼は、宮島対岸の廿日市に住居を構え、頂きに桜尾城を築城。 自身の守り神である鎌倉の絵柄天神の分け御霊を廿日市に運び、至近の高台、笹尾城に天満宮を建てました。
それまでは、廿日市を二分する形で、西は新宮神社、東は八幡神社があったのですが、天満宮はそれを統合して、廿日市唯一の神社としました。
そして、年に一度、天満宮に祭られている新宮さんと八幡さんの御霊の里帰りを兼ね、天神さんと共に、半日をかけて荘厳な行列をしたてて、御旅所巡りをする「神輿渡御式」が、今日あるのです。
今の大名行列の形は、当然、江戸時代以降だと思いますが、廿日市市は、時代と共に変遷していく祭りを、昔からの形ではないとして、無形文化財に指定してくれません。
多くは語りませんが、時代が変わりゆく中、地域の年寄と若者が一体となって守り続けている地域の祭りを、政教分離だとか一宗教行事だとか言って行政が無視し、廃れれば、地域力が無いとけなす。
300年も続いている廿日市二百二十日豊年祭を、管理運営が大変だからと言い、二日開催を簡単に一日にしてしまう愚鈍さにも、心底呆れています。
まあ、愚痴はここまでにして、そろそろ行きます。 夕刻の祭り終了まで、風雨がありませんように。 皆さんも祈って下さい。 例年の意如く、夕方5時半くらいから、いよいよクライマックスがありま~す。