LGBT法案、当事者からも慎重論「本当の声、聞いて」 – 産経ニュース (sankei.com) 2023-4-5 (要約文)
会見したのは女性の権利保護を目指す「女性スペースを守る会」や性同一性障害の人たちでつくる「性別不合当事者の会など4団体。首相宛ての要請書には理解増進法を制定するなら、出生時の性別と自認する性が異なるトランスジェンダーの女性には女子トイレや更衣室など「女性専用スペース」の利用や女子競技への参加を認めないようにする法整備を別に求めた。
女性スペースを守る会の森谷みのり共同代表は、理解増進法について会見で「(女性専用スペースを使う)女児や女性の安全な暮らしを守る視点が軽視されている」と指摘した。
同法案を巡っては、令和3年に超党派議連がまとめたが、「性自認を理由とする差別は許されない」とする法案の表現が不明確などとして自民党内で慎重な意見が多く、党の了承を見送った経緯がある。
カルト公明の山口は「もう合意を作るタイミングになっている」。左翼に取り込まれた稲田は「出来ればG7までに法案を成立させたい」。参議院幹事長の世耕氏などの保守系は「スケジュールありきで議論を拙速に進めると、逆に亀裂を深める」と、議論はまとまっていない。
上記のLGBT諸団体から、「出生時の性別と自認する性が異なるトランスジェンダーの女性には女子トイレや更衣室など「女性専用スペース」の利用や女子競技への参加を認めないようにする法整備を別に求めた。」とあります。
このLGBTの当事者が、「(女性専用スペースを使う)女児や女性の安全な暮らしを守る視点が軽視されている」と指摘しているのです。
左翼は、日本以外の先進国はLGBT法が出来ているのに、日本は遅れている」と嘘を言うが、アメリカ自体、LGBT法は可決されていない。
米大使のエマニュエルとかいう奴が、かなり強引に日本での可決を迫っているが、これは単なる内政干渉。彼は、LGBT法の日本成立の立役者となり、アメリカの民主党政権で良い地位を確保したいだけ。
訳も分からずにその尻馬に乗って、自民党総務会長の遠藤やアホの稲田が騒いでいるに過ぎないのです。
もう一度言います。LGBTの当事者ですら、LGBT理解増進法に反対しているのに、この法案を可決する意義はどこにあるのか?
これが国会を通れば、女性の安全が守れない事態が十分想定されるから私も反対するのです。法案がまだ可決されていない時点でも、既に異常な事態になっているアメリカの現状を知って下さい。
「アメリカ・LGBTの現状」などで検索すれば、すぐに何が危険か理解出来ますよ。
最近あまり書き込んでいませんでした.
亀レスですが,コメントします.
この問題,どうみるか? ですが,,,自分の中で
思いついた中から,一番時代錯誤「的」なやつを
披露しますと・・・,
「世界に飛び立った日系移民の先人が,このニュースを目の当りにしたら,大いに嘆くでしょうね」
という感慨です.
かつて,といっても100年前ごろまでは,様々な(といっても,主には経済的な)理由から,中南米諸国に最も多く移民した日本人がいました.
ことの発端はどうであれ,「マイノリティ」になったわけです.そして,マイノリティとしての差別や困難に直面しながらも,その多くは移民先においてしっかりと地位を確立していかれました.これは,歴史の事実として残っています.
さて,その日本人たちは,「政治的に訴えて地位を得た」のでしょうか?
これは全く違いますね.「郷に入れば郷に従え」で,土地の習慣や仕組みを理解しながら,一歩ずつそれに合わせて,すなわち普通の生活形態として「経済的に」歩みを進めていったのです.そして,意外に思われるかもしれませんが,これこそが「日本人独特の柔軟性」によるものでした.
「文句は言わず,実行する.少しづつ実力を高めて,事実として存在を認めさせる」,です.いわゆる「寡黙に,誠実に」です.
もちろん,このやり方が必ずうまくいくわけでもなく,例えば特亜の言いがかり(南京,慰安婦など)には,いくら日本流の「寡黙に,誠実に」を見せても,逆に土足で踏み込まれるばかりの場合もあります.
しかし,日本人が海外において(もちろん日本国内でも)自分を貫いて生きていく場合,そのやり方はけなげなほどに「寡黙に,誠実に」であり,またそれゆえに,じんわりとですが(つまり即効性はないが)確実に地歩を固めていく強さがある.このことは,しっかりと自認しておいた方がよいと思います.
なぜならば,これは今日においても全く同じだからです.
世界に出れば,この世界が今でも「欧米中心」に動いていることが嫌というほどわかります.まずもって,「欧米のヨーロッパ言語が世界の言葉」ですし,この時点でほとんどの日本育ちの日本人がマイノリティに押し込められます.言い換えたら,世界規模で見たら,極東の島国に生きる日本人なんて,所詮はマイノリティなのですよ.
その状態に気付いたとして,欧米諸国で「ヨーロッパ言語が聞き取れない日本人を差別スンナ! ことごとく日本標記を取り入れろ!」と騒ぎますか? と,一度思考実験をしてもらいたいわけです.
続きの書き込みがはねられるので,中途半端ですが.ここで終わります.
悔しいので,続きの書き込みの結論のみ書きます.
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日本人方式じゃなくって,多文化に交わることを事態を「自らマイノリティになり下がる劣等感」と考え,それを真正面から跳ね返そうとする文化もあるのです.
世界中の中華街,
イスラムのハラール食,
航空機のビーガン食,など
がその実例です.ただし,一日本人の感覚からすると,それは劣等感の打破ではなく,
「マイノリティとしての劣等感の隠蔽」
でしかないのでは? というのが私の感覚です.
ではでは