>昭和の人たちは,私も含めて,庶民も含めて,もっとちょい悪ばかりでした.でも,そんなちょい悪でも,大きなことをやればそれが認められた.本田宗一郎の書籍なんか読めば,よくわかるでしょう.あんな人,今日だったら秒でアウト!ですよ.昭和の庶民・・・,個人的には,そのおおらかさが懐かしいです.
前にも書きましたかね? 昭和48年に私は小さなゼネコンに就職。従業員200人足らずの土木専門の会社だったのですが、社長の次男坊が建築科を出たのを契機に、総合建設業として建築部を作った2年目に私が入社。
建築現場では、職人がヘルメットをかぶらない。決まった工程を守らない(守れない?)。施工図面が読めない。言うことを聞かない。。の無いないづくし。その上、現場の上司がその次男坊ですから現場を知らない。当然、私も「分からない処が判らない」状態。
仕方が無いので、基礎工事から職人と一緒に働いて仕事を憶える事を決意。電気・水道・ガス・鉄筋工事・型枠工事・コンクリート打設工事・鋼製建具工事・木工事・内装工事・左官工事・塗装工事・・・
広島駅裏の温品という現場。RC造4階建て店舗付き集合住宅でしたから、約半年の工事で、ほぼ建築の仕組みが頭と体に沁み込んできました。
ちょうど隣の現場で、途中から小さなRC造の郵便局が出来始めて、たまたま高校時代の同級生が、同じような新任現場監督(大手ゼネコン)だったので、昼時間に話してたら、「現場監督が職人と一緒にハンマー持って型枠作ってるって、お前の会社おかしいぞ。」と。
「そりゃあ確かにおかしいが、現場監督が現場を知らんのんじゃあ仕事が出来んだろ」としか答えようがありません。一緒に仕事してりゃあ、ヘルメットもかぶってくれるし、言う事も聞いてくれるし、図面の見方も教えてやれるし・・・と、反論しても大手ゼネコン様には敵いませんからね。
仕事を終えて、現場事務所横の水道で、上半身裸で体を拭いてる職人達は、背中に竜や菩薩を彫っている奴ばかりでしたから、今の建設現場では出入り禁止の部類でしょうね。
お陰で、職人みんなと仲良くなりましたが、ある親方がもの凄く気に入ってくれて、「現場が済んだら遊びに来い。トコトン飲ましたる」と。
1つしかない背広を着て親方のトンデモナイ豪邸に行くと、ぶっとい床柱を背中に座らされ、蹴っても動かない無垢の大きな座卓には、50㎝はあろうかという大きな鯛が刺身になって、恨めし気に私を睨んでいました。
親方と差しで飲んで、酒や料理を運んでくる着物姿の綺麗な子が気になっていたら、「おい、どうや?」って。。「??」。。「ワシの娘はどうやって聞いとるんじゃ」。「ああ、綺麗な方ですね。。。」
「ワシの娘を貰うてくれんか。養子にならんでもええから、いずれはワシの会社を継いでくれ」。。。 と、と、と。。。今思えば、あの時に「はい」と言っていたらどんな人生が待っていたか。。。女房には言えないお伽噺でした【笑】
これこそ,肌身で感じながら学んだ,
「真の経験知」
ですよね.
お互いに,時代も立場も能力も違いますので,
そんなにたくさんの経験ができるわけではない
のですが,それだからこそ,他人の,
「肌身をもって知った経験知」
は,敬意をもって,尊重して受け入れたいですね.
ネット時代になって残念なのは,そういう経験に裏打ちされた真の知恵とは真逆の,表面的な情報と屁理屈だけで組み立てられた「浅はかな知」が蔓延していることです.
もちろん,各人の経験値が大切だとは言っても,それを聞いた途端,学んだ途端,それは「知識」に格下げされた,死んだ花になります.その意味では,ネットに転がる「断片的なエビデンス」なるものと,本質的に変わりはありません.
でも,「摘み取られて,でも残り香の有る花」と,「死んでいい加減経って,すっかりドライフラワーになった花の残骸」とを差し出されたら,私は残り香の方を選びます.残り香のある花の方が,種類も数も少ないのだとしても,です.
ついでながら・・・,
私は,「歴史」と「歴史観」は根本的に違っていると思っています.
これは別に歴史に限ったことでなく,日常における様々なものの「価値」と,そのものに個々人が感じる「価値観」の関係なども,そうですよね.
私のイメージでは,「エビデンス」と言われる一次資料などで解き明かされるものはあくまでも「歴史」であると考えます.そして,それは前の書き込みの言い方だと,どこまで行っても「ドライフラワー」です.
「歴史観」は,その時代の渦中にいた人が,肌身をもって感じていた価値観の方です.生きたままのはな,あるいは摘み取ってすぐの残り香を放つ花..残念ながら,そんな「歴史観」までは,いくらエビデンスを積み重ねても知ることは出来ないのではないでしょうか.
もちろん,それに興味がある人は,あれこれ想像するのも楽しみなのでしょうし,エビデンスとしての見つけたドライフラワーがたとえば桜だったとしたら,その桜が活きていた状態を想像することも出来ます.
しかし,繰り返しますが,それはあくまでも虚構の延長線上でしかありません.ましてや,そのようにしてつくり出した「歴史観」を,これが真実だと強弁し,他人に強要するのはいかがなものかと感じます.
この不快さは,何も「歴史観」を持ち出さなくても,情緒がある人にはわかるのではないかと思います.
例えば,有るトラブルに自分がまきこまれて,その原因を探っている人から,
「あなたの考えはああだ! こうだ!」
と決めつけられると,本当に不快です.なぜなら,よくよく考えてみたら,自分自身にさえ,自分の真意など分からないものなのです.トラブルの相手に対して,「善意もある,悪意もある,優越感による見下しもあり,劣等感もひそかに抱いている・・・」というのが人の心っちゅうもんでしょう.
人は,そんなに単純じゃない.少なくとも,人の心はそんなに単純じゃないのです.その事実を知ることを「情緒を持つ」と言い換えることができると,私は考えているのです.
「○○氏はこんな人だ!」,「○○人はこんな連中だ!」・・・.単純な決めつけ論は,私にとってはおしなべてみな不快です.「そんな簡単に分かってたまるか!」と思ってしまいます.
先の書き込みのように,自分の経験知を披瀝する時にさえ「本当のところは分かるまい」という傲慢な気持ちもありますし,またねるけーのさんの語り口にも「面白いとは思えど,これで寝るけ~のさんのことが分かったと思うのは拙速だ」と,自分を戒めます.
お互いに,語りの残り香を楽しみたいですが,「これが事実だ! 真実だ!」と,残り香のないドライフラワーを投げつけられるようなコミュニケーションは・・・,繰り返しますが正直不快です.
金木犀の残り香を感じながら,ここに書す.
現場経験の大切さ。
自分も若い時の上司にとにかく現場に出ない、指示も見当外れな人がいて良い反面教師となりました。
現場任せにして放置すると碌な事にならないのはアルカディアビレッジや包ヶ浦の指定管理者による不法投棄の件からもわかります。
上の者は現場に足を運び声を聞く、現場は意見を述べる事の大事さは、こなさんが例に挙げられていたホンダの元副社長の方も著書で書かれていましたが、それが当たり前に出来ている組織は強いと思います。(本田宗一郎氏の様にスパナぶん投げるのはどうかと思いますが、上の度量と下の勇気というところでしょうか)
角田さんのお話、県外にいた際ある社長さんが若かりし頃やくざの親分に気に入られ、好みでないお嬢さんとくっつけられそうになり困ったが、向こうが趣味でなかったというオチの話を思い出しました。
角田さんはどの様に切り抜けたのでしょうか(笑)。
知識と己の経験を混ぜて練り上げ見識とし、胆識に辿り着きたいものですね。
そのためには萎れかけの花の残り香もドライフラワー共に楽しむ度量をつけたいものです。
胆識ではないでしょうが、行動力といえば
https://www.youtube.com/watch?v=2nrDohnB5kY
この方の行動力は凄いですね。
多少N国党な面は感じますが、世の中がおかし過ぎるとこの様な存在も出てくるのでしょうね。
>ホンダの元副社長の方も著書で書かれていましたが、
藤沢さんですね.
藤沢さんはそれほど多くの著書がないと思うので,おそらく同一の本だと思いますが,私が印象的だったのは,本田さんと会ってすぐ,
「私は,この人を幸せにすることが私の幸せだ」
と思った,と書いていたところです.自分が先頭に立って道切り開くのではなく,三歩下がった後ろから支えて,「女房役でいいと思った!」と,そのことを自信をもって喝破している.
同時に思い出したのが,確かピーターセンみたいな名前の人がドリカムを称賛する新書を書いていて,その中である曲の歌詞に,
「彼氏の夢が,やがて自分の夢になる・・・」
みたいなくだりがあって,それが自国の文化では考えられない発想で驚いた! と書いてあったことでした.
私はかねてより,西洋風のヒーローイズムが苦手で,どうも肌が合わないのですね.20世紀で一番偉い物理学者は,やれアインシュタインだとか誰だとかいうやつです.一人の超人的な完璧人が生み出されて,全てを変えていく・・・という発想です.
ハリーポッターなんかも,その典型ですよね.
何が困るかというと,平成以降日本のもすっかりそういいう価値観に染め上げられて,やれイニシアティブを取れだとか,起業家精神持てだとか騒がれました.ただ,私の感覚では,こと日本人にとっては,ヒーローイズムは身丈に合わないスーツなんですよね.
リーダーを支える女房役・・・,今やこの表現自体が,男尊女卑の象徴として叩かれる始末.男も女も,こぞってみんなが一番のリーダーを目指さないといけないってな勢いです.
ああ,昭和の価値観も遠くなりけり.
いや,そんな「女房役」に対する共感が,日本にはちゃーんと残されているのですよね.
みなさん,気づきましたか?
それは,菅元首相の弔辞です.
私は菅さんは,リーダーとしてもっと評価されるべきだと思っていましたし,非常に魅力ある方だと信じていますが,ええ,安倍首相に対する女房役を自認して・・・支えることが幸せだって,なんていうか,日本人の琴線に触れたのだと思うのです.
いい,わるい,はひとまず置いておきましょう.
でも,組織なり人間関係の中で自分の立ち位置をして,それがもし目立たないものだったとしても,その役割を演じることに喜びを見出す・・・,これこそ見事な「個性を活かした」生きざまではないか,と思います.
弱さを知る,自分の限界を知る.
自分にないものを持つ人に魅了され,その人を影で支える人生を,信念をもって貫く.
かつて米国でレクサスの暴走問題がやり玉にあげられた時,その少し前に創業一族による社長にある種先祖返りした豊田章夫社長は,米国の工場にて自らの名前「TOYOTA」の名前を冠した車が皆さんに迷惑をかけているとしたら,それは悲しいことですと涙を流しました.
その時の米国の論調は,
「涙を流し」た=「負けを認めた」でした.
会社のトップ,ヒーローとして絶対にやっちゃいけないミス.しかも彼は,創業一族というだけで選ばれているという.日本企業は所詮は非民主的,前時代的であり,この豊田なる小男もボンクラにtがいない.ってな感じでしょうか.
いずれにせよ,米国流のリーダーとは全く違ったいわゆる弱々しキャラクターで,公聴会の席にちょこんと座ったのです.
さて,それで,その状況を目の当たりにした米国の人たちが,一体どのような感覚を心に抱いたのかは,私にはとんと分かりません.
ただし私はその時ただ一つ,「居直って,自分流を貫いた豊田氏は,それでよかったんじゃないかな」
と思いました.もちろん同時に,的外れな米国論調うぜーとも思っていましたが.
結果論としてですが,TOYOTAの車は今でも米国中を元気に走っています.
ホリエモンや村上ファンドが暴れていた頃でしょうか、金融資本主義がもてはやされていた頃のアメリカ人経営者の自伝など読んでいると、「自分の生い立ち、仲間・家族との出会い、自分がいかに凄い業績を上げたか、最後に○○に捧ぐ」がパターン。
かたや日本人経営者は「失敗を含む経験談・次の世代への教訓」が多くを占めていた(一部例外者有)気がします。
アメリカ人経営者のものは受けが良さそうなものを選んで翻訳しているので似たようになるのかもしれませんが、時代の空気がそうだったのかもしれません。
米国流といえば日本電産の永守氏がユニクロの柳井氏と並んで後継者候補をとっかえひっかえですが、欧米流の合理的思考と日本の情理的思考のバランスが取れれば最高と思いますが、「中庸」とは難しいものです。
日本型経営のダメな部分は
山一證券・三菱自動車・東芝、つい最近では日野自動車に三菱電機と枚挙にいとまがありません。
https://gendai.media/articles/-/53653
山一證券の野澤社長の「社員は悪くありませんから」会見を「馬鹿言え。問題点を見つけようともしない、声も上げなかった奴も同罪だ」と冷ややかに見ていた覚えがあります。
先程の報道特集で加賀百万石の補助金不正受給の発覚に繋がったのは従業員が声を上げたのが要因とありましたが、自衛隊セクハラに声を上げた女性や、顔出しで統一教会の被害を訴えた二世信者等、声を上げた結果が結果に繋がるようになってきたのは数少ない明るい兆しでしょう。
20年ほど前の牛肉偽装事件の告発者、西宮冷蔵の社長もその後相当苦労された様ですが、声を上げた人が報われる社会になってもらいたいものです。
これまでは三菱自動車・電機の様に下請けや現場社員が声を上げても中間管理職が握り潰してきた様ですが、今現在中間管理職であろう氷河期世代がいい加減上の老害の尻拭いに嫌気が差してるのかもしれませんね。
昔なら出世や退職金という見返りがありましたが、それが保証されないのであればこその現象にも思えます。
>日本型経営のダメな部分は
>山一證券・三菱自動車・東芝、つい最近では日野自動車に三菱電機と枚挙にいとまがありません。
三代目には家つぶし・・・,というやつですね.
要するに,自分たちの実力よりも,会社なり組織が大きくなっちゃんでしょうね.
小学お受験から始まって,エリート校,旧帝大学と,点数稼ぎばかりがお得意のエリートさんたち,残念ながら私は,そんな線の細ーい連中のことは端から期待しちゃいないので,ま,こんなもんよと思うだけ.
お世継ぎ問題は,歴史小説の華.名門一家の二世・三世にもよし悪しがあり,また,外注で番頭上がりを据えてみても,これが当たりか外れか分かっちゃもんじゃない.
ただ,繰り返しますが,豊かな時代に育っちゃった人は,私も含めて,所詮は温室の華.いかにも線が細いですな.まぁ,そんなにガタガタ騒ぎなさんなと言いたいことが実に多い.
最近はやりの揚げ足取りの専門家.んなもの,十把一絡げで投げ売りですよ.
個人的には大賛成の円安ですが,これを嘆く人もまた,現在の日本のGDPが,実力以上に膨らんじゃっていると考えられないのでしょう.
私は昭和の人間ですから,ああ,これでまた自分たちの身丈に戻った.極東のバナナみたいな島国らしい,ちょいと貧乏な日本に戻って,ついでにものづくり拠点も日本回帰して,またやり直せばいいじゃないのと思っていますが,違いますかねぇ.
自分も昭和の人間なので「無駄な買い物しなくなっていいんじゃない?」などと思っていますが、現役世代はそうもいかないでしょうね。
自分達の時より税・社会保険料の負担は上がって、年金もマイナスとくれば猶更で。
線の太い戦中世代はイケイケドンドンで先に例に挙げた山一はじめ、そごう・ダイエー・ヤオハン等々しくじりも多くあるので、太すぎるのも問題ですね。