民の主Vs.民主主義

今朝の産経抄は、中々面白い内容でした。要約します。

「日本国語大辞典第二版」で「民主」を引くと、①人民の支配者。君主とある中国での古典では一貫して「民の主」という意味で使われてきたからだ。②一国の主権が人民にあること。

中国でも19世紀末になって現在の意味で使われるようになるが、習近平は「民の主」を目指しているとしか思えない。米バイデン大統領は、今月9日・10日、「民主主義サミット」を開催する。参加は約110の国と地域で、中国は当然、招待されていない。

サミット開催に神経を尖らせる中国は5日、米国の民主主義を批判する報告書を発表。多額の資金が必要となる選挙により、「少数エリートによる統治」が進んでいると指摘した

確かに民主主義は多くの問題をはらむが、中国はどうなのか。なんと「中国式民主主義」を打出して来た香港で言論の自由を奪い、新疆ウイグル地区での人権弾圧を正当化してきた国ならではの、まさにブラックジョークと言える。

日本から新幹線の技術移転を受けた中国は後に「独自技術」を主張して海外展開を果たす。「中国的民主」もいずれ輸出され、権威主義体制の国は喜んで受け入れるだろう。【終わり】

確かに、クサイ近平が憧れる毛沢東は「民の主」そのものでした。ソ連の独裁を真似て、武装集団の拠り所を共産主義としたものの、本人も取り巻き連中も「共産主義思想」の何たるかを、全く理解しておらず、やっている事は「黄巾の乱」のころと同じ「扇動・略奪・暴行・虐殺」の繰り返し。

この近代版を「民のあるじ:クサイ」がやっているので、世界中の民主国家から非難を浴びているのに、ご本人はいたって真面目に「現代版:毛沢東」になるために頑張っている。「何で?どこが悪いん?お前らも似たようなモンだろうが。最後に勝った方が総取りよ」と。

鄧小平(1978年12月~1989年11月)や、江沢民(1989年11月~2002年11月)、胡錦濤(2002年11月~2012年11月)の時代は、国力も乏しくて、ここまで馬鹿じゃなかったから、国際情勢には敏感に反応していました。

しかし、GDPも上がり軍備も驚異的に増強出来た現在、クサイは「金と力が全て」とばかりに、シナの存在感を強めています。世界は、民のあるじが勝つか、民主主義国家が勝つかの瀬戸際なのに、日本は尖閣1つ守れない状況。岸田さんの頭の中は、お花畑で蝶々が舞っているのでしょうか? 

米はついに、北京五輪には外交的ボイコットをすると宣言したよ。さあ、日本はどうする?

これでもう、米中戦争は避けられない。

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