オバマ氏の政治的センスも素晴らしかったと思います。
特に、オバマ氏の判断で、元日本軍の捕虜だったジイサン達を連れて、広島に来なかったのは良かった。おそらく小賢しいクリントン辺りなら、その元捕虜と被爆者を対面させて、お互いの言い分を相殺するように仕向けたでしょうね。
シナが、また何か言ってますが、所詮、負け犬の遠吠えです。G7よりG20の方が国際的にも重要で素晴らしいなら、その議長国として、しっかり頑張んなさいよ。南沙諸島等をかすめ取った火事場泥棒が、いくら海外へ、正当化のアピールに力を入れて自画自賛しても通用しません。
あと100日まで、集金ペイ政権が持ちますか? 国内外のあちこちで火の粉が舞ってますよ。 アメリカより歴史の短い建国60年の即席大国らしく、綺麗な大炎上を期待しております。
天晴れニッポン,ほんとうですね.
今回は,つくづく自分が日本人であることと,それから,荒れは確かに不幸な戦争でしたが,戦った相手が米国で,心底よかったと思いました.
オバマ氏の行動は,ある部分において,昨年辺りに鳩山元総理が韓国で慰安婦かなんかに跪いて謝ったのと同じ構図なのですよね.私はあの時,鳩山氏の行動に鳩山氏なりの信念を読み取り,(政治家としての判断は別として)そこは肯定的に評価しました.
ただし,皆さんの知っての通り,鳩山氏の行動は,韓国からもロクに評価されず,それゆえに日本人の眼も,極めて冷めたものでした.ただし,繰り返しますが,これは必ずしも鳩山氏ばかりが悪いわけではない.有り体に言って,
「謝った相手の精神性が低すぎた」
のですよね.
広島に来るオバマ氏に今さらの謝罪なんか要求しても仕方がないというのが,「当たり前の」日本人の感覚でしょう.しかし,これは多くの国の人々にとって,なかなか難しい「自律精神」らしいのです.
幸運だったのは,こうした日本人の自律精神に呼応する形で,オバマ氏が広島に来てくれたことなのです.寝るケーノさんの言う通り,クリントンレベルだったら,表面的な,「お前が戦争の加害者,こっちは正義の被害者」てきな,ポジション・ゲームでしか,広島を理解出来なかったことでしょう.
中共当たりは,更に決定的に,「勝ち負けポジションの,損得勘定」しか理解出来ない.だから,オバマ氏の真意が全く理解出来ないのでしょう.
米国だって色々な人がいるし,日本にだって頼りない政治家の方が圧倒的に多い.でも,少なくとも,安倍首相とオバマ氏に,今回のレベルでの精神的なつながりが出来たことは,本当に幸いなことだと思います.
核を持ち続けること.
世界のリーダーとして,核を放棄することは,しかしながら,米国には不可能であると私は考えています.
あともう一段,オバマ氏をはじめ,理解のある米国の人に,あるいは日本人にも理解してもらいたいことは,「武道」の精神だと,私は思っています.
ま,こな程度の,ロク武道をやっていない人間がこんな事を口にすると,墓の中の不動さんが,「百年早い」とツッコミを入れてくるでしょうが・・・
武道の基本は,最高に矛盾している.
「その力は,絶対に使ってはならない.特に,素人に向かって,必要ではない時に使ってはいけない」
という律から始まる.しかし,これこそが,「責任を持って核を持つ人間に必要な,最も基本的でかつ重要な不文律」だと思うのです.このような,高邁な道徳性に裏打ちされることが,最終的に,絶対的に,必要なのです.
米国が世界のリーダーである限り,核そのものを忌避して眼を反らすことはできない.ない方がいいからといって,それを自ら先に手放すことも出来ない.武道的な精神性に裏打ちされていないゴロツキが核を持つことほど,物騒でやっかいなことはありません.
しかし,米国が核(のみならず,その時代,時代の最高レベルの総合武力)を持ち続けて行くのだとしても,それが武道的な精神性を米国が理解している限り,彼らが持つ核は,それこそ,
「綺麗な核,精神性のある核」
として,世界から尊敬をもって受け入れられるでしょう.
そういう精神性に歌うちされたレベルに,核にまつわる物事の理解が進む「きざし」を,かすかにではありますが,わたしは今回,広島において,オバマ氏と安倍首相が原爆ドームに向かって歩むすがたに,見出したような気がしています.
プロレスの国に,相撲取りの自律精神は理解出来難いかもしれません.しかし米国にも,輝かしいスポーツマンシップの精神性があります.
核を持つか持たぬか,という物理的なレベルではなく,加害者か被害者かなどという,ポジションゲームでもなく,核を持つことにまつわる精神性において,日米に共通する理解があって,それゆえに友邦であり続けることが出来たとしたら,これほど幸いなことはありません.
日本はこれからも,日本らしい日本であり続けて欲しいと思います.たった一国でも,その精神性に理解ある友邦がある限り,否,一国としてさえ日本の真意を理解出来ない状況に至ったとしても,日本らしい日本であり続けて欲しいと,今回,切に思いました.
私の言いたいことを代弁してくれている記事がありました.
>【韓国の反応】「オバマと抱擁した森重昭氏は、40年以上かけて米軍捕虜被爆兵士の遺族全員を探し出し、米軍兵士のための慰霊碑を建てた人」
>趙甲濟(チョ・ガプジェ)の超少数派サイトから井戸の外のバンダービルドさんが、ジュリアン・レイオール氏(英国デイリー・テレグラフ紙記者)のコラムを紹介してました。二重翻訳での紹介。
http://oboega-01.blog.jp/archives/1057964741.html#more
オバマ氏と抱擁した,森重昭氏の活動は,アメリカのみならず,広く世界に知らされているようです.喜ばしいことです.
そして,その記事紹介の後に,このページの管理人のコメントが緑色の文字で書かれているのですが,そこに,私が鳩山元首相に感じたのと同じ話が書いてありました.その要旨は,
「森氏は米国人の原爆被災者を調べていた.ゆえに,最後に報われた.しかし,同様の活動を朝鮮人に対して行った人は,結局韓国の上から目線に利用されるだけで,精神的に救われることはない」
という話です.もちろん,森氏とて,米国政府などから,政治的フェーズとして報われたいがために,このような活動を続けてきたわけではないでしょう.逆説的に言うと,その程度の動機であったら,ここまでのライフワークになりえたとは思えません.
朝鮮半島出身者の犠牲者に対して,その落ち穂拾いをしてきた人もまた,その点に関しては同じはずです.しかし,そうやって頑張って来た挙げ句の果てに,韓国から見下されて,上から目線で「お前が謝れ!」あるいは,「お前は見上げた日本人だから赦してやるから,お前がその他のバカな日本人達を啓蒙して,私達に謝らせろ!」などと強要されるばかりなのだとしたら,この上なく空しい結末です.
なんとも言えない気持ちになりますね.
しかし,本当のことを言うと,先の戦争の悲劇は,この点に極まれます.
米国と戦ったことより,その敗戦を通して,「特亜の下劣な精神性に,奇妙な発言権を与えてしまったこと」,これが日本にとって,否,米国にとっても,さらに世界にとっても最高レベルでの不幸な出来事なのでした.
私も上から目線でものごとを言うのは好きじゃないのですが・・・,連中には,ここんところが,決定的に分からないんだろうナァ.残念.