支部の発表内容②” への4件のコメント

  1. 非常にわかりやすい資料ですね.
    とても参考になります.

    私が若かった時代は,
    「石油の枯渇」,「その他資源(亜鉛など)の枯渇」が叫ばれていました.
    その次は,
    「世界人口の爆発的増加と食糧危機」
    「地球砂漠化」
    でしょうか.
    さらにさらに,
    「地球温暖化」
    の議論が出てきて,
    「再生可能エネルギだけが善」
    の大合唱.そして,
    「EVだけが善」
    の虚構が,ついに隠しおおせなくなってきているというわけです.

    早い話が,私もだまされたのですが,上に書いてあるような大げさな主張は全て,

    「科学的な根拠に基づいている顔をした,しかしその実極めて政治的な主張」

    に過ぎなかった・・・,というのが,歴史が証明しているところです.

    そして面白いことに,この手の言動に,

    「だまされた方が損をしている」

    ことも一貫して事実なのでした.

  2. もちろん,だからと言って,上記のような言動を全て「陰謀論」だとかいうつもりはありません.

    私に,辛くも分かることは,これらの主張のほとんどが,「社会主義思想の幻想」から生み出されている点くらいです.

    科学・技術の進歩は,19世紀から20世紀にかけての世界を大きく発展させました.この考え方を「社会」にも適用しよう! というのが,社会主義のベースとなっている.

    しかし,20世紀に生み出された「社会主義国家」=「科学的な国家運営」は,ことごとく失敗に終わりました.結論から言えば,人々の心情を含めた「社会」は,物理・化学といった自然科学ほどには単純じゃなかったのです.「F=ma」を知ることで,物理学は大いにかつ正しく発展できましたが,「人間社会は階級闘争」という仮説を社会に適応したところで,社会が大いにかつ正しく発展することはなかったのです.

    ただし,先の書き込みに並べた「石油の枯渇」から「EVだけが善」までの主張をする人は,自分のたまたま見つけた(あるいは気に入った),

    「科学的知見を振り回せば,社会をよりよくコントロールできる」

    と信じているように,私の目には映ります.

    「公害のない社会」
    「資源枯渇のない社会」
    「貧困のない社会」
    「差別のない社会」・・・,

    そういう,理屈としてあるべき社会が,科学的な根拠(やれ,CO2がふえつづけているから)による行動指針を縦さえすれば,実現すると・・・,考えている.

    でも,人の心はそうじゃないのですよね.残念ですが.

  3. 科学的な根拠(経済学なども含みますよ)と,社会に向けての行動指針は,実は直接的・絶対的な主従関係はありません.

    「技術」の分野に身を置く一人として,私も,この事実になんとなく無力感を感じたりすることもあります.

    分かりやすい例として,自動車事故を挙げてみます.
    私は,自動車事故数を劇的に減らす方法を知っています.科学的根拠も明確ですし,技術的にも十二分に可能です.それは,

    「自動車に40キロ/時の速度リミッターをつける」

    です.実に簡単.現に,原動機付き自転車には速度リミッターが大昔から付けられています(なかった,もっと沢山事故死者が生み出されていたと思います).
    高速道路など,特別な道でのみ,「リミッター解除の信号」を出しておけば,高速道路は80キロ/時で走れます.これまた,安全な速度です.

    またとない,「科学的な理屈で正しい,社会における行動指針」です.

    でも,人々は絶対にそれをやりたがらない.なぜなら,

    「自由に,勝手気ままに(時には速度超過して)自動車を運転したいから!」

    です.

  4. 国家の運営は,経済の復興は,したがってというか,残念なことにというか,科学的根拠に従うだけではどうにもなりません.

    悪く言えば,場当たり的な対処療法しか,やりようがない.しかしとこ日本に関して言えば,度重なる自然災害のことを考えるだけでも,理屈通りにいかないことは明白ですよね.

    日本において久しく聞くことのなかった,

    「国家建設」

    は,見方によっては場当たり的な「土建国家」像でもあります.しかし,それを言うならケインズだってそのやり方でしたからね.まあ,屁理屈的に言えば,「場当たり的にも見える国家建設」は,理屈の通った経済政策にもなりうるわけです.

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