今日は再度、「国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議」についてお話します。
国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議|内閣官房ホームページ (cas.go.jp) (以下、主旨要約文)
我が国を取り巻く厳しい安全保障環境を乗り切るためには、我が国が持てる力、すなわち経済力を含めた国力を総合し、あらゆる政策手段を組み合わせて対応していくことが重要
この「財務省主導の茶坊主集団」の正式名称は、「国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議」です。そして、「我が国が持てる力、すなわち経済力を含めた国力を統合する」と最初に言い切っています。
(11月27日の産経新聞「日曜経済講座」【増税なら国力衰退は続く ~防衛力有識者会議の不見識~】というコラムを参考にしています)
そのコラムには1996年~2021年までの、経済力の指標である「GDP:国内総生産」と、「軍事力=国防費」の流れを、欧米などと比較したグラフがあり、日本経済の異常さが明確に表されていました。
日本経済は1997年から慢性的なデフレが始まっており、主要国では日本だけが現在までGDPの横ばいが続き、国防費もGDPの1%枠のまま。
一方、「GDPと国防費」について、1996年を1として2021年と比較すれば、米国はGDP2.9倍・軍事費2.8倍、英国GDP2.5倍・軍事費2倍、独1.9倍・1.7倍、シナは両方なんと16倍。
以前、私が書いたように、日本はGDP1%の枠があっても、GDPを増やせば同時に軍事費も増えるのに、デフレから脱却するどころか増税プランばかり増やすのですから、景気が良くなる訳がありません。
恐らく「国の借金」というフレーズが間違っているんですよ。正しくは「国の創金」と言った方が良いと思います。
国が必要な時に「国債を発行して金を創る」わけですから、「国が金を創り、それで国民が豊かになる」と言えば、誰も「国の借金が~とか、国民一人当たりの借金」なんて嘘が言えなくなります。
今回の有識者会議もそうですが、こういう会議は、全て「議事運営のための次第書」が作られて、会の議長や委員長は、横に座る事務局長の指示通りに、次第書に書いてある文章を読めば、大きな間違いは生じないという流れになっています。
その次第書原文を作成し、最初の開会挨拶文から、締めの挨拶文まで、ほぼ財務官僚が手を入れたものですから、この有識者会議は、財務省のシナリオ通りに結論を出してくれる「財務省の茶坊主集団」であると最初に書いたのです。
しかし、自民党の萩生田光一政調会長は、11月24日の政調全体会議で、有識者会議が防衛費増額の財源として「幅広い税目」による国民負担が必要と提言したことについて、「あれは参考文書だ。最後は政治が責任を持って決断しなければいけない」と強調し、締めの挨拶で、はっきりと「増税ではなく国債で」と発言しています。(しかし、何故か報道されていません)
もう少し、自民党全体の様子を見た方が賢明かもしれませんね。
*馬雲さんの事は良く分かりませんが、たぶん、孫さんの手引きなんでしょうね。
世はGAFA等の電子商取引の全盛期ですが、メールやツイッターなどの通信手段がライン等に瞬時に変わっていったように、個々の盛衰の波が激しすぎて、近未来の想像すらできません。
70歳を過ぎれば、最後は手紙に頼りたい気持ちですがね~【笑】
角田さん お疲れ様です。
>国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議
ん~この名称みて、国力と防衛力を総合的に考えるって大きなる疑問がありますね。
自家用車を購入すると購入時に重量税、2・3年に1度車検、高速道路走る場合は通行料、を徴収され、払わなければ罰則付きの処分が行われます。
でも防衛省規格の動力機械は、防衛予算がないと理由で、これ破っても罰則なく、平気だもんな。そもそもの原因が、人口減に対する国力不足からくる、少人数で扱うことができる動力機械の開発で、昔以上にお金がかかる、というのにですよ。
また修繕をメインとしている会社の倒産や業務内容変更に伴う、人材継承の減少など含めれば、財務省が自ら国力を落としているといっても過言ではないですよ。
GDP1%の言葉を使用し、平和国日本や敗戦国日本、被爆国日本を前面に 出したかったのうだろうが、(当時の三木さんの思想からそう判断しました)中曽根さんも突破した時もマスコミは大いにたたきましたが、その結果が今の日本の現状。マスコミ含むいままでの敗戦国家日本の後遺症を、そのまま煽ってきたマスコミもその大きな一因と考えます。
いくら自衛隊や民間企業がそうした研究を行っても、軍事転用ということで引いていく企業や、その研究を行っている(あるいは制作実施している)企業にデモや嫌がらせを行う民間人。
国力を上げなければ防衛力はあがらない、というのはわかりますが、お金だけの問題ではないような気がしております。
今本気で、平和とは何か、与えられるのか、自ら作り上げるのか、他国の脅威とは何か、を日本全体が、敗戦の呪縛を振りほどいて学ぶべき時にきているのではないでしょうか?
そうした意味で、安倍元首相の死は、日本にとって大きな痛手であることは間違いなさそうです。