自虐史観の植え付け

>戦争に対する贖罪意識を利用して,庇を貸したら母屋がとられている! いまだに,日本の社会科教育は自虐意識に満ち溢れているようです.おそらく先生が誘導しているのでしょう.そうでなければ,「実は日本兵が・・・」なんて思いつかないでしょう,普通は. これからも,注視していかなければなりませんね. 

日華事変の始まりは盧溝橋事件である処は間違いありません。一発の銃弾と言われていますが、実は、盧溝橋付近にいた蒋介石軍(国民政府軍)と、そこから約2㎞離れた地点の日本軍演習場の両方へ、ほぼ同時に数発の実弾が撃ち込まれた事件です。 

蒋介石軍は、日本軍が撃ち込んできたものと思い、守備陣から日本軍演習場に向かって発砲を始めましたが、日本軍はその時、突貫などの演習だったので実弾を装填した小銃が無く、急遽、自動車で5㎞程離れた豊台兵営舎へ、実弾を取りに行かせたという日誌が残っているようです。 

この資料を見る限り、少なくとも日本軍の発砲ではないと思います。この時点で、両軍を戦闘に引きずり込むメリットがあるのは、ソ連か毛沢東軍(中国共産党八路軍)です。 

こなさんが書かれているように、八路軍の特別工作隊連長の王少将は、終戦後シベリアへ抑留された時、同じラーゲル強制収容所で働いていた元満州国警防課長の斉藤平五郎氏に、「盧溝橋の発砲は俺の指示だ」と話したと、昭和40年5月号の「丸」という雑誌に供述内容が詳しく書かれています。 

事変とあるように、日本は出来るだけ「戦争」を回避していたのですが、その中途半端さが逆に弱さと取られ、国共両軍を裏で支援していた米露に、戦争へと引きずり込まれたというのが大枠の真実のようです。 

どうあっても日本を辱めたい日教組達と、前川喜平のような文科省のバカ官僚が、教育界を牛耳っている限り、日本の初等教育は危ういですね。 

自虐史観の植え付け” への1件のコメント

  1. 以前、新聞にて「秩父宮軍紀の乱れを懸念」との記事があり、秩父宮が「之が日本の軍隊かと唯嘆ぜられることことのみ聞かれまして、遺憾と申すほかありません」との閑院宮宛の手紙に書かれていたそうですが、これも思想や周囲の人間の主義・主張により左右もされるでしょうし、資料の内容が真実を伝えていると信じ切るのも危険ですね。
    「歴史は噂話を蒸留したもの」との言葉もあります。
    今現在、果たしてどれだけ真相にたどり着く事が出来ているのでしょうか。