新津さん。お久しぶりです!お元気そうでなによりですね。これからもよろしく。
>小生としては、このようなハンディキャッパーですら大事にされてきた(周囲は大変ですが)日本という国家を、心から素敵だなあと思う次第です。
その通りですね。これまでは、「社会に適応できないお前の方がおかしいんだ」と思われていた人々が、実は普通では理解できないような症状で苦しんでいる。それがTVなどで実態として浮かび上がりましたから、社会で、それらの人々の存在が徐々に理解され始めているのは、素晴らしいことだと思います。
でも、原因の多くは、日本のトコロテン制度によるもの。
一定の容器で押し出されたら、ほぼ一定以上の画一的な能力を、当然の如く要求される社会。これに疎外感や嫌悪感を覚える人は、落ちこぼれのニートになるか自営業に転身(たった2つに分けるのはかなり乱暴ですが【笑い】)。私自身も、それに近い処があります。
社会は全てが自己責任ですが、自分が進んできた道は、一応正しかったと判断したい。しかし、この歳になって振り返ってみると、決して後戻りはできないけども、数多くの人生の分岐点が見えてきます。
もし、あの時に・・・と考えるだけで、2~3日分の酒の肴になりますよ。
さて昨日は、10時から「#川本たつし後援会総会」を、さくらぴあ小ホールで開催しました。
9時半の受付の前から、沢山の人達が会場入口に列をつくられ、これは大変な事になるぞという予感のもと、会場外の待合ホールへ椅子の段取りを支持しました。
開始5分前には、ほぼ会場内は満席になり、受付台を一部撤去して、モニター画面の前に椅子を段取り。午前中は大ホールの使用が無かったので、かなりの椅子を持ち込み大混乱。
時間前30分から、自作のプロモーションビデオを映写しておりましたので、会場の皆さんの目と耳は釘付けで、非常にスムーズな開演となりました。
先ずは、後援会会長「竹中久人」氏の挨拶。次には後援会顧問で、商工会議所会頭の「細川匡」氏が挨拶。
来賓として、参議院議員「溝手顕性」様のご子息「溝手しょういち」様。
次に、参議院議員「宮沢洋一」様の秘書、和田まさのり様。
宮沢先生には、先日私が一人で、東京事務所へお伺いして、今回のお願いをしてきましたので、秘書の方の丁寧な対応が光りました。
最後に、参議院議員「森本しんじ」様の秘書、矢木橋みちよ様。
祝電披露は、今回の二連ポスターの片方である「たうえ長崎市長」。
田上長崎市長と#川本氏は、九州大学法学部の同級生で、結構仲が良かったとか。他には、参議院議員「北村つねお」様、参議院議員で、行列の出来る法律相談所で有名な「丸山和也」様など、多数頂きました。
そして、本人挨拶。余りの会場の熱気に、途中、声が詰まる場面もありましたが、万雷の拍手が送られました。
次は私が、後援会事務局長として、「現状とお願い」について喋り、川本夫人が短く、お礼の言葉を述べられました。
閉会挨拶は、後援会副会長、永本建設代表の「永本せいぞう」氏。
ガンバローコールは、同じく後援会副会長で、若手の代表である「吉本卓生」氏。
終わってすぐに、広島国際会議場の「日本会議広島総会」に向かいました。
流石に昨夜は、良く眠れましたよ。ビールも美味しかったです。
新津さん
ご無沙汰しております.こなです.お元気そうで何よりです.
これからも,積極的にコメントいただけますとうれしいです.
さてさて,,,
>画一的な能力を、当然の如く要求される社会。これに疎外感や嫌悪感を覚える人は、落ちこぼれのニートになるか・・・
そういう意味では,わたくしも全くもって「普通には生きられない人」です.
それでもまあ,いわゆる変人であることに,それなりのプライドもありますよ,ええ.
ガッコのお仕事でも,それぞれの学生の良さを,できるだけ個別に見抜いて,個別に育んでいきたいと考えています.
画一的なものの見方,画一的な評価の弊害は,日々,これはもう,嫌というほど感じ「させられて」おりますので・・・.
っと,週の頭から暗くなっちゃいけんせんね.
今日から7月です.今月も一所懸命頑張りましょう!
こなさん^^今年2月で古希の70歳になり
心身ともに、かったるくなり思考も鈍りがち。
若い時のような欲望も萎えて足るを知り
残念ながらワクワクすることが無くなりました^^
久し振りの書き込みで挨拶がてら雑文を載せて
見ます(笑^^
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「タバコの煙りで建てました!」
村の自治会長を任じていた2011年(平成23年)3月11日に東北大震災が発生、お蔵を改修
した事務所前に飛び出した。母屋の二階でガシャ
ーンと本棚が倒れる音がした、庭の愛車も異様に
揺れ動いて地震の凄さを体感していた、しばらく
して地震が治って副会長が村の被害を報告にきた。村唯一の医院の大谷石の塀が倒れたとのことだっ
た。当時、自治会長の任期2年が終わる時期だった。
報告に来た副会長が言うに次期会長役は果樹組合
の役を受けたので、もう一年会長をやってくれない
かと言われた・・・・おいおい、もう一年?
吸っていたKENTの煙を吐き出した・・・タバコな
んど吸ってる場合じゃ無いと仰いだ曇り空に禁煙の
文字!
お世話になっていた内科で禁煙の薬の処方を受け
ファイザー製薬のチャンピックスの禁煙錠剤を処方
されたが内科の医師の言いぐさにカチン!と来て、
反駁したら宛名に「机下」と記された封書が届いた。他の医者宛の紹介状らしい・・・
こうなったら意地でもやめてやる!
事務所の前で考えた・・・
KENT 一箱420円(当時)1日1~2箱一ヶ月
60箱x25,200円=一年12ケ月で302,400
円。X10年後?3,024,000円!
だったら中古のベンツくらい買えるじゃん(笑^^
と閃くと腹を括った・・・
今でこそタバコの規制が厳しくなったが我々の子供
の頃は大人になると男はタバコを吸うものだと思っ
た。当時はタバコと塩は国家の財政の一部として専
売品で中学校の登下校で見たタバコ屋のショーケー
スのポスターは黒のワンピース姿の妙齢な女性が煙
が登るタバコを手にし、書いてあったコピーが
「タバコは動くアクセサリー・・・」なるほどと頷
き、中学2年になって同級の不良にタバコの吸い方
を教わった・・・
初めて買ったのは「みどり」というハッカの効いた
タバコだった。
社会人となって40有余年、タバコは僕の動くアクセ
サリー、お酒は勝っても負けても飲んでは反省!!
時は流れ、父は戦後のどさくさ時代に亡くなり苦労
を重ねた未亡人の母も92歳で他界・・・。
15代続くといわれる我が家の墓もくたびれ家内の
賛同を得て新しく墓を建てることにしたが墓地の改
修も含め見積りが180万円也。タバコをやめて6
年、タバコ代年額302,400円X6=計1,814,400円!
タバコの煙で建てました!!
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