少し、時間がとれました

 5月からの元号が「令和」になりました。 初めて、日本最古の歌集「万葉集」から出典されたのが嬉しいです。

良い名前だと思います。でも、エイプリールフールに発表なんてのは、どうなのかな?と、チョット思いましたけど(笑)

  さて、この2日間、とても寒いですね。各議員は、決められた時間内、街宣車の先導をしますので、時速15~20㌔の低速とは言え、全開した窓から入ってくる風は相当にこたえます。その上、有効時間を見ながら、どの地域をどの程度の密度で回ろうかと頭を巡らしながら、街宣車の後ろに後続車が付いたら、すぐに左に寄せて追い越しを誘導。

離合出来ない幅3m以下の狭い道に入るほど、大切なお年寄りが多く、玄関を開けて待っておられますから、無理な運転が多くなりますが、無事故・無違反は選挙の鉄則。

これは一日4時間が集中力の限度です。しかし一昨日は、歳も考えずに9時間近く先導車を運転したので、普通の晩酌がこたえる程、疲れました。もう、こんな馬鹿な事はしないつもりです。

これから6日土曜まで、歳を考えながら頑張りま~す。

これは愚痴です。「山下・安井のどちらにも良い顔をしたいから、今回自分は動きません」っていうご都合議員が多少居ますが、今の文政権のように、誰からも相手にされない議員になる事は明白。地域もかなり影響が出ますよ。選挙が終われば、我々もその地域に廻る予算を、遠慮なく分捕りに行きますからne。

 >三菱や新日鉄の特許含む資産差し押さえの現金化を延期したのは、技術を韓国内で実現できないからではないか、という見方もできます。

  その通りだと思います。先の投稿で書きましたが、シナ朝鮮に努力という言葉はありません。発掘したDNAを調査すると、孔子・孟子の時代の漢人は、元の時代にとっくに亡びており、今居る自称漢人は全く違うDNAです。現存するシナ朝鮮人は、「生殖能力だけが高く。嘘偽りと、裏切りや、逃げ足の早さで、生き残った者」ばかりなのは、DNAが証明しています。

 >韓国の影響なんて実際には「牛にミツバチ」程度の影響しかないのです.ビビッて先送り・・・,もういい加減,その愚行は繰り返してもらいたくありません.

  「牛にミツバチ」ってのは、面白い表現ですね(笑) 熊が、蜂の巣を襲う時に、顔中に蜂がたかっても、知らん顔して巣を割って蜜を舐めているのをTV映像で見たことがあります。牛革のランドセルの厚みを想像すると、これじゃあミツバチの針が通らないのかな・・とは思いますが(笑)

 

少し、時間がとれました” への2件のコメント

  1. 週間正論のメルマガからの引用です。
    令和,最初は「れい」という発音が少し気になりましたが,とても良い元号と思い始めています。ラ行はないと思っていたのですが(勝手にです),キレがあって良いです。
    著者は意図して終わりに移しました。どなたかが書かれたものと思われますか。
    ---以下,引用です。

    メルマガ「週刊正論」平成31(2019)年4月2日号
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    新しい元号は「令和」と決まった。出典は『万葉集』の梅の花の歌三十二首の序文にある、『初春の令月(れいげつ)にして 気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ』である。

    その出典の言葉を含めて、「令和」とはいかにも、新しい時代への憧れを抱かせるような、雅にして心安らかな元号であるが、この新元号制定のもう一つ大いなる意味はやはり、日本史上初めて、元号の出典となる言葉を、中国古典からではなく日本の古典から引用したことにある。

    元号というのはもともと、中国が発明したものである。紀元前2世紀に前漢時代の武帝が「建元」という元号を制定したのが元号の始まりであるが、時代はさらに下って、東アジアの朝鮮半島の国々や日本がそれに倣って元号を使い始めた。その中で、例えば朝鮮半島の国々と比べると、元号制定に対する日本の姿勢は断然違っていた。

    朝鮮半島最初の統一国家である高麗は、一部の例外を除けば、基本的に中国王朝の元号をそのまま使っていた。高麗を受け継いだ李氏朝鮮の場合、最初から最後まで中国皇帝の元号をそのまま「拝受」して朝鮮の元号として使い、中国皇帝に対する恭順の意を示していた。

    つまり、高麗と李氏朝鮮が使っていた元号がそのままであることは、この2つの王朝が中国の属国の地位にあることの象徴となっていた。それに対してわが国日本は最初から最後まで、中国皇帝の元号を使ったことは一度もない。

    日本最初の元号が「大化」であることは周知の通りである。それはまったく日本独自の元号であって中国王朝とは何の関係もない。つまり高麗や朝鮮とは違って、日本人は初めての元号を制定したその時から、日本が独立国家であることを強く意識して、独自の元号の制定を持って独立国家としての気概を示した。

    大化といえば、思い出されるのは646年から始まった「大化の改新」である。公地公民制に基づく中央集権の国家体制づくりが「改新」の目的であることはよく知られる。その当時、中国大陸では世界帝国の唐王朝が強盛を極めて周辺地域への覇権主義的膨張を始めた。まさにそれに対抗するために、日本は中央集権の強い国家体制作りを急がなければならなかったわけであるが、果たして大化の改新からわずか17年後の663年、日本は朝鮮半島の白村江で唐帝国と正面から対峙して果敢に戦った。

    こうして見ると、大化という元号の制定から大化の改新が実行されるまでの一連の動きは、白村江の戦いの「戦略的準備」との位置付けであることがよく分かるが、当時の日本人が独自の元号制定に込めたのはまさに、中華帝国の膨張に対抗して国家の独立を守り抜こうとする強い思いだったのではないか。

    このような歴史の経緯を踏まえれば、21世紀になった今、日本の新しい元号が日本の古典に依拠したことの、もう一つ大いなる意味が見えてくるのであろう。大化の時代の日本人が唐帝国の覇権主義的膨張に危機感を覚えた時と同様、今の日本国は再び、「民族の偉大なる復興」を唱えてアジア支配を目指す習近平中国からの脅威にさらされているのである。日本の生命線となるシーレーンが通る南シナ海では中国の軍事支配化が進み、尖閣諸島周辺の日本領海に対する中国船の領海侵犯はすでに日常化している。日本は自国の安全と地域の平和を守っていくために外交戦としての「白村江の戦い」をほとんど毎日のように戦わなければならないし、いざというときに備えて大事な国防を固めていかなければならない。

    このような状況下で、新しい時代の到来を迎えたわれわれ日本人にとって、「令和」という、日本の古典に依拠した日本独自の元号を持つことの意味は大きい。そう、元号のない歴史に終止符を打って日本独自の元号を持ったことで独立国家の気概を示した大化の日本人と同様、「元号は中国古典から」という今までの慣例を破って史上初めて日本古典から引用した元号を持つことによって、現在に生きるわれわれ日本人は、中華帝国の覇権主義に対抗して、日本の独立と平和を断固として守っていく意志を固め、それを内外に示すことができるのではないか。

    こうして見ると、日本最初の大化という元号の制定は日本史上における画期的な創始であったのと同様、今における「令和」という元号の制定はまた、この古き伝統を受け継いだ上での画期的な創始であろう。

    日本元号史上の新しい1ページがこれで開かれるのだが、これから「令和」という時代を生きていくわれわれ日本人は、独自の元号を制定した大化の先人たちの初心を忘れずにして、「令和」という美しい元号に込められた深い意味合いを心にとめて、日本の平和と繁栄を守っていく固い決意の下で、一致団結して邁進していくべきではないのだろうか。

    【新しい元号に思いを込めて―評論家、石平】

    (せき・へい 1962年、中国四川省生まれ、北京大学哲学部卒業。88年に来日し、神戸大学大学院博士課程修了。民間研究機関を経て、評論活動に入る。平成19年、日本国籍を取得した。著書多数。『なぜ論語は「善」なのに、儒教は「悪」なのか 日本と中韓「道徳格差」の核心』 (PHP新書)は最新の著書)

  2. お疲れ様です。本日は桜まつりで天気もいいのにお留守番で、選挙に行ってきての書き込みです。

    先週のお昼過ぎ、寝るケーノさんが応援する候補の選挙カーが、私の所属する草野球チームが試合している側を通過していきました。その10分後くらいに、相手チームに特大の場外ホームラン打たれました。10分遅ければ直撃?
    あれから7日経ち、選挙戦お疲れ様でした。本日はさくらの下で前祝酒ですかね。

    >山下・安井のどちらにも良い顔をしたいから、今回自分は動きません」っていうご都合議員が多少居ます

    なるほど、まずは最低限の自己都合・自己保身ですか。左翼人たちが一番きらう小市民化してますね、廿日市市議も。

    もし、もう一人の候補が当選されたら、彼らはどのような行動になるのでしょうか?また、その場合の廿日市市長選への影響、行動は?と考えると、もしかしたら廿日市市議たちのレベルが醸し出されるかもしれませんね。

    いろいろな意味で、楽しみですね。

    選挙の裏話、また教えてください。