ミトロヒン文書

>とにかく,日本人のお人よしなんて,奴らから見たら,ネギしょったかもでしかないことに,一人でも多くの(いわゆる善良な)日本人に気付いてもらいたいです.

こなさん。私が日本会議を含むこのような(ある方に言わせれば不毛な)活動をしている目的は、まさにそこなんです。

 皆さんは、ミトロヒン文書と言うものをご存知でしょうか?

メディア対する海外の諜報機関工作―ミトロヒン文書を読み解く 藤井聡 <外患を招くマスメディア> 概略文 http://trans.kuciv.kyoto-u.ac.jp/tba/archives/2386

<KGBの諜報活動についての最上級資料:ミトロヒン文書>

 <大手新聞社内部に潜入したKGB工作員による「世論工作」>

 まず、KGBが、どの新聞社の中に工作員を潜入させてきたのかについては、以下のように明確に記述されている。

『Mitrokhin氏のファイルには、1970年代にKGBのエージェントして活動した、少なくとも5人の日本人記者の名前が挙がっている。(これには日本社会党の出版物は含まれない)

・朝日新聞の記者、コードネーム「BLYUM」

・読売新聞の記者、コードネーム「SEMYON」

・産経新聞の記者、コードネーム「KARL (またはKARLOV)」

・東京新聞の記者、コードネーム「FUDZIE」

・日本の主要紙の政治部の上席記者、コードネーム「ODEKI」』

中でもとりわけ、朝日新聞については、次のように記述されている。

『日本の最大手の新聞、朝日新聞にKGBは大きな影響力を持っている』

 このことは、上記の「BLYUM」という朝日新聞内部の工作員が、朝日新聞内部で大きな影響力を持っていたこと、あるいは、BLYUM以外にも朝日新聞内部に複数の工作員が存在していた可能性を示している。

なお、上記の引用部でも(これには日本社会党の出版物は含まれない)と補足されているように、「日本社会党の出版物」についての工作が、中央新聞に対する工作よりもより容易であり、したがって、より徹底的に展開されていたことは、ここで附記するまでもないところである。

実際、Mitrokhin Archive IIでは、『中央部はセンター日本社会党の機関紙で発表するよりも、主要新聞で発表する方がインパクトが大きいと読んでいた』と明記されている。この事は、KGB工作において、朝日新聞をはじめとした主要新聞への工作が重要な位置を占めていたという事実と共に、日本社会党の機関紙への工作はより容易であったことを暗示している。

いずれにしても、新聞各社における工作員のミッションは、「日本国民のソ連に対する国民意識を肯定化しよう」とするものであった。

例えば、かつてはソ連が日本の漁船を拿捕し、交流するという事件が頻繁に起こっていた。その拿捕は明白に不当なものであったのであるから、彼等が解放されるのは当然であったのだが、朝日新聞は次のように大きく報道したのだという。

『ソ連は本日、ソビエト領海違反の疑いで拘束されていた日本人漁師49人全員を解放すると発表した。ソビエト最高会議幹部会の会長と、日本の議会代表団訪問団のトップである石田博英との会談中に発表された』

 ここに出てくる石田博英という人物はこのミトロヒン文書の中で、『日本社会党以外でKGBに関与した政治家の中で、最も有力なのは石田博英(コードネーム「HOOVER」)であった』と紹介されているKGB工作員である。

つまりこの記事は、KGB工作員がソ連に赴き、日ソ交渉で「日本国民のために成果を上げた」かのような虚偽的な印象を与えると共に、ソ連側が日本に協力的になっているかのような、同じく虚偽的印象を与えようとした記事だったのである。

いわば、KGBが画策した茶番を大きく報道し、ソ連に対する世論の肯定化を図る工作を、朝日新聞は展開したわけである。

ただし、こうした活動を行ったのは、朝日新聞だけではない。しばしば世論において朝日新聞と対立する産経新聞においても、次のようなKGB工作の存在が記載されている。

『最も重要であったのは、保守系の日刊紙、産経新聞の編集局次長で顧問であった山根卓二(カントコードネーム)である。レフチェンコ氏によると、山根氏は巧みに反ソビエトや反中国のナショナリズムに対して親ソビエト思想を隠しながら、東京の駐在員に対して強い影響を与えるエージェントであった』

 このレフチェンコ氏というのは、KGBの工作員で、後に米国に亡命を果たした、ミトロヒン氏と同様に、KGBの諜報活動の実態を我々が理解する上で極めて重要な役割を果たした人物だ。

さらに驚くべき事に、KGBの工作員の規模は、数名という規模ではなかったことが、以下の下りから示されている。

『1972年の秋までには、東京の「LINE PR」の駐在員は31人のエージェントを抱え、24件の秘密保持契約を締結していた。特に日本人には世界で最も熱心に新聞を読む国民性があり、KGBが偽の統計情報等を新聞に流すことにより、中央部はソビエトの政治的リーダーシップに対する印象を植え付けようとした』 (筆者注:「LINE PR」というのは、KGBが内部の諜報組織である)

 これは驚くべき数字である。日本のメディア関係組織に、数十人クラスで直接的工作員、契約的工作員が潜入していたのである。

  なお、そこまでソ連側が、日本のメディアに食い込もうとしたのは言うまでもなく、上記文書に明記されているように、『日本人には世界で最も熱心に新聞を読む国民性』がある、という「事実」を、ソ連側が見切っていたからに他ならない。

誠に愚かな事であるが、日本国民のメディアに対する無批判さが、KGBに活用されてしまっていたのである。(概略文終わり)

 如何でしょうか? これが日本のマスゴミの実態です。このご紹介した全文章を読んで頂ければ、ソ連から、如何に日本が「カモネギ」に見えているか判って頂けると思います。

 昨日の河野外相へのインタビューで、「ロシア外相の発言についてのコメント」を求められても全く答弁せず、「次の質問は?」と何度も無視したのを産経も批判していましたが、これは河野外相が正しいと思います。

 何度も言いますが、外交交渉は自国の武力と財力をバックに行う、武器を持たない戦争です。しかも、ロシアは核保有国。最初からナイフと金しかない日本と、自動小銃でその金を取ろうとしているロシアとの戦いですから、正面切っての正論では敵う訳がない。

 最初から不利な戦いなら、水面下の情報戦を優位に進めるしか勝てる道は無いのに、誰が手の内を明かしますか?

強かな相手だから、いかなる言質も取られる訳にはいかないのです。マスコミの知る権利は、国の安全保障の前には芥子粒のようなものです。ましてや、我々庶民がその動向を知った処で、何か国益のために行動できますか? 百歩譲っても、それで効果が出るくらいなら、憲法改正なんか急ぎませんよ。

 

ミトロヒン文書” への2件のコメント

  1. 寝るケーノさん、お疲れ様です。
    ><大手新聞社内部に潜入したKGB工作員による「世論工作」>
     まず、KGBが、どの新聞社の中に工作員を潜入させてきたのかについては、以下のように明確に記述されている。

    この件については、当時の週刊誌ネタだったと思いますが、ソ連がゴルバチョフのペレストロイカにて、対日本政策の全容が明らかになり、(マスコミには乗らずですが、)当時の国地方議員・マスコミ・大学・会社におけるソ連の情報がでたようです。全部公開すれば世の中ひっくりかえるようなものがあったらしい、という記事だったと思います。

    ここからは都市伝説です。(一部フィクションやうわさも含めます)
    1986年、チェルノブイリ以降、ソ連ではペレストロイカによる情報が、世に出てきました。それに一番あせったのは、大学と教授、それにかかわる会社です。
    1987年から1990年、ソ連に留学等にて休講などした教授が、一番多かった時期です。ソ連の体制の再構築など学問的には、大きな効果があるのでしょうが、一番の目的は、A・B・C・Dの大学とソ連やそれにかかわる社会集団への関与している資料の廃棄の確認です。

  2. 「昔ソ連で,今チャイナ」・・・,ってところでしょうかねぇ.

    >1987年から1990年、ソ連に留学等にて休講などした教授が、一番多かった時期です。

    今現在でも,中共のどこぞに出入りしている教授はごろごろいますからねぇ.そういう人たちが,今後どうなるのか,ちょっと見ものですね.

    ちゃーんと二手に分かれると思いますよ.

    どえらくあわてる教授と,
    ちっともあわてない教授に.

    あわてはじめる教授連中が一体どれくらい湧いて出るのか,見ものです.